「三蔵さん文庫」通信 No.1

 

 5月8日(水)

   プレプレー

     顔顔会合

  正式発足ー7月15日

    海の日・月曜日

   に向けて、

   メンバー4〜5名の

   打ち合わせレベルなので、

   県内(東海地方)を想定

   しています。

   できれば、健脚の方。

   墓所の成満寺さんまで、

   駅から少しあります

   のでーーーー。

   メール、お待ちしています。

 

  配布資料

  ① 成満寺旧蔵本

     岡田有希子さん墓所

  ② 河野法雲旧蔵本

  ③ 普門禅寺(一宮市)旧蔵本

    ーー岐阜・瑞龍寺系統  

  ④ Mr.SHINRAN発

     ー「教行信証」入門

     

  参考

  ・河野法雲師(ウィキペディアより)

   河野 法雲(こうの ほううん、

    1867年(慶應3年) - 1946年(昭和21年))は日本の僧。

    1867年(慶應3年)、美濃国羽栗郡円城寺村

     (現在の岐阜県羽島郡笠松町)の

     河野稱名寺で、寺族として生まれる。

    真宗大学教授を経て、1934年(昭和9年)に大谷大学学長に就任。

    1935年(昭和10年)に論文「宗祖聖人の神祇観」を発表し、

     「神祇不拝の教え」を明確にした。

     その論文が「教義上不穏当な箇所あり」

     とされ、1936年(昭和11年)に学長を更迭された。

     後、宗門における職を辞し、自坊にもどり、

     宗門の戦争協力に従うことはなかった。

    1945年(昭和20年)に大谷大学名誉教授の称号を受けた翌年、

    自坊にて示寂。

    

        

 

光明寺村女工焼死事件(こうみょうじむら じょこう しょうし じけん)は、1900年(明治33年)1月23日に、日本の愛知県葉栗郡光明寺村本郷(現・一宮市光明寺本郷屋敷)の

織物工場で、女工31名が焼死した事件である。

 

 

竹内まりやさんー有希子ちゃんは私が、いちばん多く

楽曲提供をした歌手でした。キラキラ煌めく

ティーンネイジャーの新人のころから曲を書かせて

いただいています。

でも、残念ながら18歳で亡くなってしまってからは、

彼女へ書いた曲をセルフカバーするということが

なかなかできませんでした。

何となく有希子ちゃんの曲は永遠に歌わないかなと

思っていたのですが、33回忌を経て、

彼女が生きていたらもう50歳を過ぎていることを

考えると、天国にいる有希子ちゃんに、

「私も頑張ってこの曲を歌っていますよ」という

ことが届くかなと、今回3曲選んで歌わせて

いただきました。デビュー曲の「ファースト・デイト」

を含めて、届いているといいなと思います。