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長岡輝子さんが亡くなった。102歳。
 
10年ほど前、長岡輝子さんによる宮沢賢治作品の朗読CDを興味で手に入れ、
そこで方言による賢治の言葉の再生に大いに感銘を受ける。
 
何より、それまで大嫌いだった「雨ニモマケズ」・・・童話はとても好きだったのよ。
でもね、この詩は小学校で隣のクラスであったが、ナンミョーホーレンーゲーの先生が
教室の後ろの黒板にこの詩を大書し、
毎朝子供らに大声で群読(この場合、群毒とも言うね)させていたの。
ヒョージュンゴで、まるで軍隊みたいで、
そういう立派な人にならなくてはだめよ! いけないのよ! 
わかったわねったらわかったわね!! の声を聞いていたからだがだ、
長岡輝子さんの朗読では、まるでニュアンスが違っていた。
 
特に最後の一行、「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」の「ナリタイ」は、
ぼくは世のため人のために身を犠牲にしてがんばるぞ! 
じゃなくて、小さい声でしみじみとピッチを高くして、
ささやきとも内緒話ともとれる、ため息ともつかない裏声っぽく、
まさか? ほんとうに? の意を含む(ぜんたい)のニュアンスで、
最後の「タイ」などは悪戯っぽくスタッカートで終えていたのだ。
切実でありながら、照れをも含む絶妙のニュアンスであった。
 
ああ、賢治はこういう音色でこの詩を書いたのね・・・腑に落ちた。
 
と初めて賢治の言葉を生でつかめたことに心ふるえました。
その後、「あめゆじゅとてちてけんじゃ」で枕をぬらし、
「虔十公園林」で叫び、むさぼるように土地の言葉によるCD聞きまくった。
 
いま、ちょいとばかり「お話し」というやつをしたり、伝えたりする機会があるが、
みーんな長岡輝子さんの真似だ。
 
「標準語は敵国語と思え。生活に根ざした言葉を一番大切に、
敵の言葉を覚えるつもりで標準語に向かえばいい。二カ国語を覚えるつもりで・・・」
 
と長岡輝子さんと同郷のもちろん賢治とも同郷の秋浜悟史先生に教わった。
以前、秋浜先生に長岡輝子さんの賢治朗読CDの感動をお伝えしたところ、
「なら、今度機会があれば、おばあちゃんが生きているうちに紹介してあげるよ」
とおっしゃっていただいた。加えて先生はお若い頃、長岡輝子さんに
「あなたは日本のロルカなんだから」
と言われたことをうれしそうにお話しされた。
 
その先生が71歳で亡くなられて5年。その間CD聞くたびにそのことを思い出し、
いつか何かで出会えるかもしれない、
などと都合よくありもしないことを思っていた長岡輝子さんも亡くなられ、
幻は幻となりぬ。
 
来年こそ「賢治祭」に行くか。