はじめまして、わたくし栃木県でカウンセリングルーム青空(オンライン対応)を経営しております。

今回はカウンセラーを選ぶうえで実はあまり知られていない極めて重要なポイントについてお話します。

 

まず最初に、ひじょーーーーうによくありがちな事例を架空のエピソードで2つ上げますので、それについてどう思うか、解説を読む前にご自分自身で感じてみてください。

 

1.ある不登校になりたての男の子Aがいて、その子のお母さんはAをスクールカウンセラーさんにつなぎました。

そのカウンセラーは普段は教科担当をしていましたが、大学院で行動理論を勉強していたため、理論的に子どもを教科学習に導く様々な理論を理解していました。そのことが評価されて、校長から多数決でスクールカウンセラーのポジションに選ばれた背景がありました。

Aはとにかく「よく分からないけどやる気が出ないし学校に来るのがつらい」と言って、あとはうつむいて黙ってしまいました。

 

カウンセラーは基本的な生活習慣を正すことを助言し、その後きちんと家でも課題をやるように勧めました。

Aは課題をやると学校のことを考えてしまうから、しばらく休みたいといいましたが、カウンセラーはAの母親に「気持ちはわかるけれど、後々のことを考えるとやっておいた方がいい。私も学習支援が専門だから援助できるし、是非彼にも勉強をやって自信をつけてほしい」と言いました。
カウンセラーは行動論をベースに、宿題をやったら報酬(おやつ)を、やれなかったら報酬(おやつ)を出さないという手法で対応しました。

Aの母もこれを受けて、Aが勉強にしっかり集中するように環境を整え、結果的にAは毎日1時間課題に取り組む習慣が出来ました。

しかし、学校に行きたくないという不安は全くなくなりません。最終的に、カウンセラーは念のため精神科を受診してみるよう勧めました。

 

 

2.とある虐待を受けていた女性Bがいて、Bはアダルトチルドレン専門カウンセラーという看板をみつけ、そこに通ってみることにしました。初回を受けるとカウンセラーはとても丁寧に傾聴してくれ、最後に「私も親がとても厳しくてトラウマになっている。でも、いまこうして人の役に立てていることをとてもうれしく思っています。だから一緒に頑張りましょうね」と優しく語りかけてくれました。

しかし、なかなかBの症状は回復しません。良くなったり悪くなったりを繰り返すのです。カウンセラーは、「夜はしっかり眠れていますか?」というので、Bは実は夜更かしをしていたことを打ち明けました。

カウンセラーは「きちんと生活習慣を正さないと良くなるものもならなくなってしまうから、頑張ってみようね」と、少し悲しそうな顔で言いました。Bは「カウンセラーさんもこうして応援してくれているのだから、がんばろう、あまり弱音を吐いたり悲しいところをカウンセラーさんにも見せないように明日からは心を入れ替えるんだ!」と決意しました。


 

さて、何が問題なのかお気づきになりましたか?

実は両者とも深刻な問題があり、2のケースに至っては話になりません。

しかし、それに気づかずこんなことが全国各地のカウンセリングルームで起きているらしく、「前はカウンセリングに通ってあんまりよくならなかったからこっちに来ました」と吐露するクライエントさんにたくさん巡り合ってきました。

 

実際、2に関しては見方によっては美談にすら見える場合もあるかもしれません。「がんばろう」とクライエントが決意しているわけですから。

では、何がどう問題なのか、ここから解説していきますね。

 

まず1の事例です。

対人援助職の方であれば、恐らく大体は「報酬でコントロールするのは良くないのではないか」というところを指摘されると思います。それもそれで一つの重要な観点です。

しかし、それ以前の問題があります。

 

「なぜカウンセラーは、勉強をやった方がいいと言ったの?」という点です。

 

ありがちなのですが、カウンセラーは自分の得意な理論や作戦にすぐに落とし込もうとします。

行動論で学習を支援するのが得意なら学習から、認知療法で不安を改善するなら不安から、体のことに詳しいならよく眠れる方法や運動の効果から、という風に自分の得意なところからアプローチしがちです。

 

A君に声をかけるならまずニーズの把握が先です。Aくんは嫌な友達を何とかしてほしいのかもしれない、自分の気持ちが自分でわからないのかもしれない、過去にいじめられたことを思い出しているのかもしれない、担任の先生が怖いのかもしれない、うつらしき症状に苦しんでいるのかもしれない、でもそれを言葉にすると甘えていると否定されるのを恐れているのかもしれない。

不登校を選ぶ子ども達の大半は、そもそもこうした不安を抱えているものです。

 

しかし、この事例ではカウンセラーが「私は学習支援が専門だから彼には勉強で自信をつけてほしい」と言っています。

要するに、Aくんが学習を援助してほしいのではなくカウンセラーが学習支援をしたいのであって、その結果Aくんが自信を取り戻すというサクセスストーリーをカウンセラーの期待によってAくんに描いていることになります。

 

Aのニーズに合わせて大人が動くのではなく、大人のニーズによってAの動かし方を変えるために理論を盾にし、それがエビデンスに基づいた支援だと錯覚します。

 

Aくんがもう死にたくて苦しくて明日にでも飛び降りようとしていることに、もし誰も気づいていなかったら、、、

 

勉強なんかやらせているうちにAくんは死にます。

 

すこし極端かもしれませんが、しかし、当の本人のニーズと違う支援を大人が一生懸命やるというのは、子どもを想像以上に追い詰めます。

もし大人のあなたが仕事が辛くて死にたいときに、もっと元気に頑張れる方法を毎日上司や産業カウンセラーが提案してきて、「〇〇をやってみよう、駄目だったら〇〇をやってみよう、うーん、なかなかうまくいかない、どうしてだろう」と次々提案したり悩んだ顔を見せてきたら、どう思いますか?

子どもは大人のように「休職届を出せば休める」ということを知りません。経験が少ないので、一生それが続くと容易に思い込みます。

死にたくなりませんか?

 

支援をしているのに子どもが回復しない、という事例の大半は、時間をかけてよくよく分析していくと、そもそもまずニーズと支援の内容がずれています。

そして、ニーズを正確に捉える分析力はないのに中途半端に研修を受けたカウンセラーになると、「こうすると〇〇になるという心理学の研究がある」なんて言って、余計に事態を長引かせたりこじらせたりします。それも、”誰も気づかないうちに”です。

 

このようにSOSを出している人の状況に反応して、カウンセラー側の願望や欲求、理想などが場に投影されてしまう現象を「逆転移」と呼びます。そして逆転移は露骨に現れる場合もありますが、大抵はさりげなく、そしてもっともらしい言葉や理論を論じる裏側にひっそりと潜み、事態をひっかき回します。

最終的に引っかき回し切って、にっちもさっちも行かなくなって万策尽きてから「受診して様子を診ましょう」や「発達検査をしましょう」とお医者さんに丸投げする、みたいな、こういうのはもう飽きるまで聞きました。

 

2の事例でも同じことが起きているのが分かるでしょうか?むしろ2のケースの方が1よりまずいのですが、これが意外なことに、臨床心理士や公認心理師のカウンセリングでも普通に起きているようです(クライエントさんたちに聞く話曰く)

 

2では、カウンセラー自信に不適切養育(過度な厳しい子育てのトラウマ)の背景があることが語られています。

そして、「だからこそ今は同じような境遇の人の役に立ててうれしい」と言っていますね。

 

自分の不遇な体験からカウンセラーを目指す人は、現実に一定数いることでしょう。

しかしよくあるのは、成育歴の中でカウンセラー自身が癒えない傷を抱えており、それゆえに「人の役に立っている」という事実が、カウンセラー自信の自己肯定感や存在意義の確保としての機能を果たしてしまっているケースです。

もっとかみ砕くと、カウンセラー自信が虐待歴によって自分に自信が持てず、それを他者の役に立つことで保障しているという感じで言えましょうか。

 

こういうカウンセラーの場合、極めて厄介です。

もうここまで言えばお気づきでしょう。

 

2の事例では、カウンセラーがBの役に立つことで自分自身が無意識のうちに有能感を得ていました。(大体こういうのは無意識で、カウンセラーもそんなことは意識しないし、もちろんそんなつもりもなくやってやっています)

しかし、現実問題としてBの症状が一向に明確な改善を期さないとなると、カウンセラーはBに対する有能感を否が応でも剥奪されることになります。だから有能感を感じられなくなって「それじゃあ良くならないよ」と言って悲しい顔をした、なんて可能性さえ浮上します。これも逆転移です。

 

もっと悪いことに、その悲しい顔をしたカウンセラーを目の前にしたBは自分を責め、こんなんじゃカウンセラーさんが悲しむから、といって元気に振舞うことを決意してしまいました。問題の根本が解決していれば自然に元気になっているはずですから、あえて意識して元気に振舞う決意をするということは、どう考えてもBは本音を抑圧していることになりますよね。

 

…これ、カウンセラーを元気にするためにクライエントBが頑張っている構造になっていませんか?治療を受けているのは一体どっちですか?

 

そういう話になってきますよね。

 

でも、逆転移に気づけないカウンセラーは「私との関係性の中でBさんが頑張ろうと思えるようになってきた」などとシャーシャーと言います。Bの傷が癒えていないのだからカウンセラーと離れれば、いずれ元の状態に戻ってしまうのは自明ですよね。少なくとも、この2のカウンセリングがきっかけで治癒することはないでしょう。

 

ここで少し今までを振り返ってみてください。

 

カウンセラーに頑張れない話をしたら、「しっかりしなきゃ」的なことをそれとなく言われたことはありませんか?

その裏に、カウンセラー自信が抱える「私だって弱音を吐きたいのにあなたばっかりずるい」という無意識は透けていないでしょうか?あるいはカウンセラーが頑張ることを美徳とする日本、とりわけ学校の文化を無意識に投影、伝達しようとしていませんか?

 

怒りや悲しみを吐露し続けているうちにカウンセラーが「あなた自身の努力も必要」などと言ってきませんでしたか?

その裏に、もう打つ手がなくて万策尽きたカウンセラーの無力感は投影されていませんか?

 

いじめを受けたカウンセラーにいじめられたことを話したら、悲しい顔をされませんでしたか?

そのカウンセラーさんは自分の記憶に引っ張られて、あなたの状態や気持ちに対する正確な洞察が揺らいでいませんか?

 

 

カウンセラーというのは、色々な知識を持っていますし、人の役に立ちたいと思ってやっている人が大半でしょう。

しかし肝心な知識の引き出し方や役に立ちたい気持ちが、カウンセラー側の無意識領域で都合よく変換されて、あまりにも不適切な形で場に投影されている気がしたことはありませんか??

 

知識そのものより、使う知識の選び方や、逆転移への注意、一生懸命やっているという無知な正義感に囚われない覚悟、

そういうものの方が、カウンセリングを進めるためには根幹を為すキーなのだと思います。

キツイ言い方ですが、僕自身も「分かってない支援者の”一生懸命”は当事者にとって果てしない迷惑だ」と言われたことがあります。

悲しいことに、逆転移への注意力は数値で測れない非認知能力であるでしょうから、知識やテストの点数、資格の有無などからは見ることができません。

 

そして、いつの間にかカウンセリングの場が「クライエントのため」ではなく、誰も気づかないうちに「カウンセラーのため」になって、さりげなく時間とお金だけを無駄に消費してしまうかもしれません。

 

じゃあどうすればいいの??

 

 

一つの考え方として、スーパービジョンやコンサルテーション、ケース検討などがあります。

 

カウンセラーも人間ですから、自分では無意識な逆転移を見落とすことがあります。それが心理治療全体の構造を少しずつむしばんでいきます。

だから第三者の専門家の力を借りて、自分のやっていることを客観的に見てもらうようにするんです。

 

私も少しでもケースがうまくいかないと思ったときには、早急に先輩や師匠に連絡してアポをとります。

自分だけで対処するには、正直私自身もまだ経験不足です。

 

結論

カウンセラーを選ぶときには、資格や実績が最も分かりやすい指標になります。しかし資格は必ずしも実力ではなく、一定の知識を保障するものに過ぎませんし、実績もタイミングや病態によって同じようにいくとは限りません。

とはいえ、それらを判断材料にすることを頭ごなしに批判するものではありません。少なくとも私はコンサルテーションやスーパービジョンなどを受け、どちらかというと「クライエントをどうするか」ではなく「自分はどうなのか」を真剣に問おうとしているカウンセラーの方が信頼に値するのではないかと感じたりしているんだ、というお話です。

 

少なくとも、スーパービジョンもコンサルもケース検討も教育分析も定期的にやった経験がない、自分の体験を売りにしている、転移や投影が説明できない、などのカウンセラーは心配です。

 

なので、私自身もそうならないようにこれからも学び続けていきます。

 

一応、私のところのホームページのURL貼っておきますね。

カウンセリングルーム青空 (aozora-sensei1.com)