この漫画を知っている人がいれば、ぜひその人とは居酒屋でも行って3時間くらいは語り合いたいですね。


今回は漫画となります。

タイトルはGUNSLINGER GIRL(ガンスリンガーガール)作者は相田裕先生です。

2002年7月から2012年11月まで月刊コミック電撃大王にて連載され、単行本15巻の全100話です。


☆あらすじ☆※Wikipediaより引用

「少女に与えられたのは、大きな銃と小さな幸せ。」

物語の舞台は架空の現代イタリアを中心としたヨーロッパであり、物語の直前にバルカン半島における紛争により核兵器が使用されている。イタリアは国内に地域間対立や思想対立を抱え、テロや暗殺などの暴力が絶えなかった。数年前には、『ブルーパージ』と呼ばれるアメリカのレッドパージに似た右翼主義者と看做された者達への公職追放が行われ、登場人物の中には疑いを掛けられて組織から追放された者も多い。イタリア政府・首相府は、表向きには障害者への様々な支援を行う組織として公益法人「社会福祉公社」を設立する。しかしその実態は、身体に障害を持った少女たちを集め、身体の改造と洗脳を行い、反政府組織に対する暗殺をはじめとした超法規的活動を行わせる闇の面を持った組織だった。少女たちは、「義体」と呼ばれる人工の肉体と引き換えに、時に危険すら顧みられることなく銃を手に戦う運命を背負わされた。

⚠️注意⚠️

多分にネタバレを含みます。内容を分かりやすく説明するため、作品とは異なる表現をする部分もありますが、あくまで分かりやすさを重視しているのでご了承ください。


☆総評と解説☆

この作品はイタリアの支援施設を装う闇の組織「社会福祉公社」に所属する、肉体を改造され洗脳を施された少女達と、彼女らとパートナーを組む大人達を中心に物語が進行します。


まずこの少女達(義体)について触れておきます。

元々は普通の女の子でしたが、犯罪に巻き込まれたり病気に罹ったことで身寄りを失ったり、自信も犯罪に巻き込まれて死にかけたり、余命間近となってしまった人々になります。

彼女らを社会福祉公社が引き取り、肉体を改造し動けるようにした後、洗脳により過去の記憶を抹消。自分のパートナーが従うべき存在という意識にさせられたことで、パートナーの命令であれば殺人をも厭わない暗殺者の少女が量産されました。

また彼女らはあくまでも延命措置を受けただけに過ぎず、余命は数年ほどと短く、大人になれないまま生涯を終えていきます。


それでは、様々な観点から見ていきます。

・イタリアの描写が細かい!

物語の舞台はイタリアなのですが、現代イタリアが抱える社会問題(南北格差、貧困差など)などにも作中触れており、作者のイタリアへの愛と半端ない知識がこれでもかと詰め込まれています。

また、単行本では巻末に現代イタリアの基礎というコーナーを設け、イタリアの気候、交通事情、衣食住、南北問題まで細かく解説されており、ガンスリンガーガール本編に没入できる細かすぎるまでのイタリア知識が詰め込まれています。

他にも色々なイタリア知識が記載されているので、興味がある方はぜひ単行本を買ってみてくださいね。


・戦闘シーンのど迫力!

この作品は女の子が銃を持ち、テロリストや犯罪者と銃撃戦をドンパチやり合うのだが、漫画から戦闘の躍動感や緊迫感が伝わってくるほど作画描写が凄まじい。物語終盤、片腕を失ったトリエラ(義体)に武装したテロリストが集団で襲いかかるシーンは特に自分のお気に入りで、トリエラ1人で複数人を相手取るシーンは緊迫感と迫力が最高でした。

この後のヒルシャーとの会話含めて、涙なしには語れない名シーンなのですが、興味がある方は是非見てみてください。


・名セリフの数々!

とにかくセリフ選びが秀逸!好きなセリフ選べと言われても選べないくらい言葉選びやキャラクターの言い回しがマッチしていて、洋画を1本観ている気分になりました。ネタバレ含みですが、何個か紹介させて下さい。


「これが、報いか…」ジョゼ

単行本13巻ラストのシーン。家族を殺したテロリストを前に復讐心に駆られるジョゼはパートナーの義体ヘンリエッタを薬漬けにして絶対服従の殺戮マシーンへ変貌させ敵の待つ新トリノ原発へ乗り込む。だが、ヘンリエッタは戦闘中かつてのトラウマをフラッシュバックしてしまい、混乱状態に。銃を乱射するヘンリエッタの弾がジョゼに当たった時の一言。1巻からジョゼという人物を見ていると、このセリフの重みがよく伝わります。個人的に1番好きなセリフです。


「だめ…死ぬのなんて勿体無いです。私のために生きて!」リコ

ジョゼの兄ジャン・クローチェが傷を負いながらも家族を殺したテロ事件の首謀者ジャコモを倒した際、駆けつけたパートナー・リコ(義体)に「先に逝かせてもらうよ」と別れを告げる。そんなジャンに涙を流しながらリコが言い放ったセリフ。

リコ自身は全身麻痺だった身体を改造されて動けるようになり、日々の些細な事に喜びを感じる無垢な少女。そんな彼女が自身に不器用ながら接してくれたジャンに対しての想い、感情が爆発したシーンなのかなと個人的に考察しています。本来服従する立場の義体が「私の為に生きて」と担当官へ叫ぶシーンは作中屈指の名シーンではないでしょうか。


「嫌だね!今となって思うのは、利己的な生き方、愛情、モラル、偽善!すべてが自分って事だ!俺は誰にも恥じないぞ!」ジョゼ

物語終盤の銃撃戦。死んだ妹の幻影が「義体なんか見捨ててジャコモを殺しに行きましょう(要約)」と語りかける。それに対するジョゼの返答がこのセリフ。

このセリフの捉え方は読者によって異なる気がします。私の解釈はいつか機会があれば記載したいですが、長くなるので割愛します。


この作品は物語最後の戦闘で主人公サイドの義体と担当官の多くが戦場で散っていきます。

ストーリーの主軸を担ったキャラクターの退場はショックが大きいですが、一方で彼女/彼らは自身の使命を全うし、死を受け入れて戦場で散っていくのです。

未練を残して死んでいった義体は殆どおらず、最後は晴れやかに堂々と戦場で倒れていきます。

だからこそ、読者は義体と担当官の死をある種爽やかに見届けることができます。

また、この作品のハイライトの1つである義体のアンジェリカと「パスタの国の王子様」は私自身未だに読み返す好きなエピソードです。

このエピソードは是非漫画で読んでいただければと思います。



この漫画は連載当初から賛否両論で、「女の子を銃に持たせて戦わせるのはどうなのか」「女の子を改造して洗脳するのは悪趣味」といった否定的な意見も少なからず存在しました。

全巻読了した私一個人の感想としては、これらは設定の一部分だけを切り取った否定的な意見で、物語を全て読み切ればそんな感想は1ミリも抱かない筈だ!というのが所感です。

この作品はド派手な戦闘アクションと細かすぎるイタリア描写だけではなく、少女に戦わせる担当官の葛藤や苦悩、義体たちの過去、担当官の過去など多岐にわたって掘り下げ、伏線を張り巡らしています。

この物語は第99話の時点で義体はクラエス以外全てが寿命を迎えて旅立ち、クラエスも「自分もいつかここで死ぬのだろう」といつか来る死を受け入れ、生き残ったジャンと夕陽を眺めて終劇となります。

つまり義体たちは死を受け入れて晴々と旅立って行くものの、読者目線としては義体は決して報われないし、救われない物語なのです。









それらを救済するのが最終話であるエピローグです。

ここでは義体トリエラの娘にあたるスペランツァという少女が登場します。

実は生前のトリエラから担当官ヒルシャーがこっそりと卵子を取り出しており、ヒルシャーの遺言を授かったロベルタが卵子を人工授精したことで産まれたのがスペランツァです。

トリエラは肌色は褐色で金髪の女の子でしたが、この子も褐色に金髪をしっかり受け継いでいます。

彼女はギフテッドと呼ばれる天才で飛び級で大学院へ通っており、そこでフーゴ・ミュラーという髭面の青年と出会う。

フーゴと「とある賭け」を行ったスペランツァ。

10年後その賭けは実を結び、フーゴは映画監督として大成。スペランツァ出演の映画がアカデミー賞に輝き、スペランツァは壇上でスピーチ。最後は涙を流しながらこう話す。

「私を育ててくれた母、天国の母へ、この言葉を贈ります。世界には今も確かに希望がありますよ。」


この物語は最後、たった1つだけの希望を読者に見せて幕を閉じます。でもこれだけで充分でしょう。

苛烈な少女の物語は未来に希望を託して終わります。

この物語はどんなバッドエンドになるのだろうと読んでいた当時私は考えてましたが、このような形で救済した相田裕先生の構成力には頭が下がります。


今回もだいぶ長くなってしまいましたね。

好きなものを好きなだけ書き殴るブログなので、見ている人がいるならば、かなり置いてけぼりになりますけども、こんな拙文にお付き合いいただきありがとうございました。

次回はかなり軽い、ふざけた文章でも書いてみようと思います。


それでは。