✨✨【御四国】
『阿波』編 ‼
【讃岐】























1300年以上の歴史を誇る「田村神社」
讃岐国 (香川県)の一宮です。
四国でも屈指のパワースポット !!


琴電琴平線『一宮駅』から徒歩10分ほど。
『讃岐平野』の真ん中近くに位置する
「田村神社」には、
「倭迹迹日百襲姫命
(やまとととひももそひめ)」や
「五十狭芹彦命(イセサリヒコ)」と共に、
五柱の神様が祀られています。

倭迹迹日百襲姫命は、女性を守る神、
または水神として崇められる神様です。
水の少ない讃岐地方にあって、伏流水が豊かな
この土地は、まさに水神・倭迹迹日百襲姫命の
ご利益があってのことと、今でも地元の人たちは「一宮さん」と呼び親しみ、篤く信仰しているのです。




「田村神社」

【所在地】
香川県高松市一宮町字宮東286番地


本足跡



















きらクロネコちゃん↑きらキラキラ






大鳥居 !!


























讃岐國一宮 !!
「田村神社」!!
















初詣きら!!きらキラキラ














































『さぬき七福神』


布袋尊 !!

お迎え 布袋尊 !!













『さぬき七福神』



























『鐘楼門』









「田村神社」
『大祓』・『四神』・『鐘楼門』
















八咫烏 !!











きらくろねこ↑きらキラキラ


『陰陽道』の感じも 。。
色濃くある神社です。。。☯️ 











『十二支参り』





































































































































































本足跡















































『祓への輪』















『さぬき獅子』



『さぬき獅子』

『獅子頭』の発祥は、
第15代応神天皇のころ中国から渡来し、
奈良朝前期の『伎楽面』(ぎがくめん)に由来すると云われています。
 もともと神前に安置され礼拝されていましたが、やがてこれを操作して神徳を表現するようになり、『獅子舞』は、その後これが変化し、
祭礼の際、天下泰平、五穀豊穣を祈願して神社に奉納されるようになったものであろうと云われています。
 『讃岐の獅子頭』は、独自の郷土色を持っており、張子の手法を用い、乾漆つくりのため丈夫で、振ると耳の中の小石が鳴るので、
『耳鳴り獅子』とも呼ばれています。
全国各地で作られているものと比べて圧倒的に軽く、激しく舞い踊る『讃岐の獅子舞』には大変適しています。
 『讃岐の獅子舞』の歴史は古く、
室町時代初期には各地で行われており、
祭りの主役である『獅子舞』には氏神様への
奉納として今でも盛んに行われています。


本足跡






















































「田村神社」(たむらじんじゃ)は、
香川県高松市一宮町にある神社。
式内社(名神大社)、『讃岐国一宮』。
旧社格は国幣中社で、
現在は神社本庁の別表神社。







「田村神社」

【所在地】
香川県高松市一宮町字宮東286番地

【位置】
北緯34度17分11.53秒 
東経134度1分38.25秒




【主祭神】
『田村大神』
(倭迹迹日百襲姫命、五十狹芹彦命、
 猿田彦大神、天隠山命、天五田根命
の5柱の総称 )


【社格等】
式内社(名神大)
讃岐国一宮
旧国幣中社
別表神社


【創建】
(伝)和銅2年(709年)

【本殿の様式】
春日造

【別名】
一宮神社・定水大明神・田村大明神

【札所等】
『新四国曼荼羅霊場』11番
『さぬき十五社』6番
『讃岐七福神』(布袋尊)


『例祭』
5月8日・10月8日


【主な神事】
『御蚊張垂神事』(5月8日)
『御蚊張揚神事』(10月8日)






別称として
『田村大社』『一宮神社』
『定水(さだみず)大明神』
『一宮大明神』『田村大明神』とも。



【概要】
高松市中部、高松市街地から
南に約7kmの地に鎮座する。
一帯は湧水地であり、現在も当社の『奥殿』が
深淵の上に建てられているように、
『水神信仰』を基盤とした神社である。
讃岐国内では『名神大社三社』の1つで、
『讃岐国の一宮』として崇敬された。
また、現在に伝わる【神宝】は
『田村神社古神宝類』として
【国の重要文化財】に指定されている。
なお「田村」の社名は鎮座地名によるもので、
他の「田村神社」のような坂上田村麻呂との関係はない。






【祭神】
祭神は以下の5柱で、
『田村大神』と総称される。

倭迹迹日百襲姫命
 (やまとととひももそひめのみこと)

五十狭芹彦命
 (いさせりひこのみこと)
別名を吉備津彦命(きびつひこのみこと)

猿田彦大神
 (さるたひこのおおかみ)

天隠山命
 (あめのかぐやまのみこと)
別名を高倉下命(たかくらじのみこと)

天五田根命
 (あめのいたねのみこと)
 別名を天村雲命(あめのむらくものみこと)


『田村大神』について、
中世の書物では
猿田彦大神や五十狭芹彦命を指すとされ、
近世には
神櫛別命・宇治比売命・田村比売命・田村命
など様々で一定していない。

社殿創建前は『井戸』の上に神が祀られていたという社伝から、元々は当地の『水神』(龍神)であったとする説もある。






【歴史】

【創建】

『社伝』によれば、
古くは『定水井(さだみずのい)』という井戸にいかだを浮かべて、その上に神を祀っていたという。
その後、和銅2年(709年)に行基によって
社殿が設けられたのが創建とする。
この『定水井』は現在も『奥殿』の下にある。
なお、当初は義淵僧正によって
大宝年間(701年-704年)に開基された
『一宮寺』と同一視(建物も同じ)されていた。




【概史】

朝廷の当社に対する信仰は篤く、平安時代には度々【神階】の授与が行われている。
また延長5年(927年)の『延喜式神名帳』では「讃岐国香川郡 田村神社」と記載され
『名神大社』に列したほか、
『讃岐国一宮』として信仰された。
建仁元年(1201年)には
『正一位』の昇叙があったとされ、
弘安7年(1284年)7月日の銘を有する
「正一位田村大明神」の扁額が残っている。
また武家からも崇敬・統制を受け、
長禄4年(1460年)には細川勝元により、
社殿造営や寄進のほか
『讃岐国一宮田村大社壁書』
(高松市指定文化財)が定められた。
これは当社の関係者に対し、
守るべき事項を26箇条で記したものである。
天正年間(1573年-1592年)には
兵火により一切経蔵を焼失したが、
仙石秀久から社領100石を寄進された。
その後も社領の寄進を受け、藩主が松平大膳家に代わったのちも祈願所として崇敬された。
延宝7年(1679年)、高松藩主であった松平氏により『一宮寺』が分割され、
後に『一宮寺』は別の地に移された。
その際、【一国一宮】として選ばれていた
『四国八十八箇所』の【札所】と
『本地・正観音像』は、『一宮寺』に移される。
明治4年(1871年)、『近代社格制度』において『国幣中社』に列した。







【神階】

いずれも『田村神』と記載。

嘉祥2年(850年)2月28日、
『従五位下』
(『続日本後紀』)

貞観3年(861年)2月13日、
『官社』に列する
 (『日本三代実録』)

貞観7年(865年)10月9日、
『従五位上』から『正五位下』
 (『日本三代実録』)

貞観17年(875年)5月27日、
『従四位下』から『従四位上』
 (『日本三代実録』)

元慶元年(877年)3月4日、
『正四位下』から『正四位上』
 (『日本三代実録』)

建仁元年(1201年)、
『正一位』








【境内】

『本社拝殿・奥殿』は
宝永7年(1710年)の造営で、春日造。
『奥殿』は
二重構造で前方は『本殿』に接続していて、
神座があり、その床下に『定水井』と呼ばれる【深淵】がある。
なお、現在、『奥殿』には垣根で近づくことができず鬱蒼と茂った木々でほとんど見ることはできない。
『拝殿』は
明治10年の再建で、入母屋造。

そのほか境内には、
『海軍少年飛行兵之碑・海外開拓者殉難之碑』
などの鎮魂のための石碑や、
桃太郎話に仮託した犬・猿・雉と吉備津彦
・倭迹迹日百襲姫命や
『讃岐七福神の石像』など、
多くの石造物が設けられている。








【祭事】
年間祭事


『歳旦祭』
 (1月1日)

『御火焚き祭』
 (1月15日)

『節分祭』
 (2月節分の日)

『春季例大祭・御蚊帳垂神事』
 (5月7日・8日) - 特殊神事。

『大祓式』
 (6月30日)

『夏越祭』
 (7月1日・2日)

『七夕祭』
 (7月7日)

『燈籠祭』
 (8月9日・10日)

『秋季例大祭・御蚊帳徹神事』 
(10月7日・8日) - 特殊神事。

『七五三詣で』
 (11月15日)

『人形供養祭』
 (12月23日)

『大祓式』
 (31日)



【末社月次祭】

『稲荷社月次祭』 
(毎月15日)

『素婆倶羅社月次祭』
 (毎月24日)


本足跡













『田村神社古神宝類』

指定区分  【重要文化財】

指定年月日 昭和41年6月11日

【所在地】
『高松市歴史資料館』
(高松市昭和町一丁目2-20) 






『片添刄鉄鉾身』
(かたぞえばてつほこみ)一口
 総長37.4センチ 身長20.2センチ
 飛鳥時代以前

 袋穂の槍を「ほこ」とよび長い柄をつけ手にもち、又は投げつける武器である。
本例は【神宝鉾】で祭儀用の武器であろう。
鉄の鍛造で両鎬袋穂の片側に薙鎌状の逆刺をつけている。
身は剣状で両面鎬両刃であり、塩首で左右両方に尖り刃をつけ、表裏を蛤形の柄頭が挟んだようにつくられている。
袋穂の上中下の3か所に上下2段表裏にわたって袈裟襷文の線刻を施している。
この刻線は金 又は銀を象嵌したと思われるが、
剥落している。
このような仕立てと袋穂の金象の意匠手法は、『愛媛県』の「大山祗神社」の【神鉾】に通じるところがあって、ほぼ同時代であろう。
また、この鉾の手法、意匠は
古墳時代の鉄製太刀とも似ている。





『瑞花双鳳禽獣鏡』
(ずいかそうほうきんじゅうきょう)一面
 径28.5センチ 平安時代初期

 『唐鏡』から『和鏡』へと鏡式がかわる過程で、中間の形式として『瑞花双鳳鏡』が残り徐々に和様化していくが、この鏡は極めて鋳上りのよい『白銅円鏡』である。
鏡背の文様は、一條の圏線で内外区をわけ、
内区には上下に唐花から、かわった瑞花を左右に双鸞から相対する鳳凰を配し、
上辺の左右に走る麒麟、下の瑞花の左右に飛んでいる尾長鳥を表わしている。
外区には、飛雲と尾長鳥文を交互にめぐらせている。
国内に似た例として、文様を異にするが、
『正倉院』の『走獣双鸞八花鏡』や
『東大寺大仏殿』出土の『同文八花鏡』
及び山梨県諏訪郡『霊洞沢』(りょうどうさわ)出土の『麟鳳八稜鏡』などがある。
『唐鏡』に似ているが、簡略化された技法などから『唐式倣制鏡』とみられる。





『十二支八卦(け)文鏡』一面
 径21.5センチ 唐代

 蒲鉾縁の古くから近代まで用いられた円形鏡である。
文様のある鏡背は、縁に沿って内区より一段高くつくり、そこに走駆する十二支肖を右まわりにめぐらしている。
内区の中央の紐を通す、つるみともいわれる鈕は、素鈕で内外区の間にある圏線に接して
八卦図を、その内側に卦文を配置している。
このような背文をもつ鏡は『隋鏡』から
『唐鏡』にみられ、のちに再版もあるが、
この鏡は大型の『白銅鏡』で背文も、
わが国の『唐代倣製鏡』にはみられないし、
『正倉院』や『東京国立博物館』および
『日光男躰山頂』出土例などに似た『唐鏡』があるので、唐代に制作された『舶載鏡』であろう。





『素(そ)文鏡』一面
 径31.8センチ 奈良時代末

 白銅鋳製の大型の円形鏡、鏡背の縁は蒲鉾形で大きさに比べて最も外の部分の縁が低い。
中央の鈕は小形の単純な形の素鈕で鋳上りのままである。
胎面に鋳型の地肌がそのまま残っている。
鋳上りのよい『白銅鏡』である。
この鏡は圏線もなく胎面などから、平脱 若しくは螺鈿を施すための『生地鏡』の可能性がある。





『素文八花鏡残闕(ざんけつ)』一片
 長径35.5センチ 奈良時代

 鋳上りのよい良質の『白銅八花鏡』で、
最外部分の縁の断面は平縁で低く、
文様のある鏡背には内外をわける圏線もなく
無文である。
鏡は中央の鈕の縁際から半分に割れており、
このため鈕のある半分も欠失している。
この鏡も『素文鏡』と同じく『生地鏡』であろう。
鏡を、神の調度品である【御神宝】として
神に献じられた例は、「春日大社」、
「熊野速玉大社」など多い。




~高松市歴史民俗協会・高松市文化財保護協会
1992年『高松の文化財』より抜粋 ~

高松市HP
本足跡












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きら  🍑 きら







倭迹迹日百襲媛命 。。。キラキラWハート 御幣きら


黄金の!! きびだんご !!。。きら黒猫きら笑










『漁師が語り継いだ桃太郎』

「桃太郎」は、ご存じ『盆栽の里』として知られる高松市『鬼無(きなし)町』が舞台。
今もこの地には、
おじいさんが芝を刈った『芝山』、
家来の雉(きじ)が住んでいた『雉ヶ谷』、
犬『犬島』、猿『猿王』、
鬼退治の勝ちどきを上げた『勝賀(かつが)山』
などの地名が残されています。
また、桃太郎が鬼退治をしたのは
高松港の沖に浮かぶ『女木(めぎ)島』、
通称『鬼ヶ島』です。

この桃太郎伝説は、孝霊天皇の第八皇子である
稚武彦命(わかたけひこのみこと)が家来を引き連れ、海賊退治をおこなったという話を、
『讃岐国守』だった菅原道真が
地元の漁師から聞き、
おとぎ話にしたものといわれています。
それを論文にまとめて昭和5年(1930年)
に発表したのは地元の小学校の教諭であった
橋本仙太郎氏。
『鬼無町』では今も【桃の花】が咲く3月の最終日曜日に『鬼無桃太郎まつり』が行われています。


本足跡






桃太郎 !! 。。。








姉弟 !! 。。。🍑🍑




「姫は農耕の恩人」

古代、『讃岐』の人々に『米作り』や『水路』などの『農耕技術』を伝えた恩人といわれる
「倭迹迹日百襲姫命
(やまとととひももそひめのみこと)」。
孝霊天皇の娘で、稚武彦命や岡山県において
【桃太郎のモデル】といわれる吉備津彦命
(きびつひこのみこと)の姉にあたります。
吉備津彦命と稚武彦命の2人は百襲姫の弟で
「ももたろう」と呼ばれたとの説も。

巫女の力を持った姉の助けで、鬼とされた海賊の退治を無事に果たしたのかもしれません。
百襲姫は、遠く『大和』から『讃岐』に来て、
ある日突然に『大和』に帰ったので、
【かぐや姫のモデル】になったともいわれています。



本足跡



























きらクロネコちゃん↑きらキラキラ

















【四国】
【ア·ワ】
【阿波】
【六芒星】
【中央構造線】
【シリウス】
【剣山】
【鶴亀】
【四国八十八箇所霊場】
【かごめかごめ】
【空海】
【丹生】
【高野】
【善女竜王】
【不動明王・浪切不動明王】
【稲荷神】
【天皇】
【麻】
【忌部】
【イスラエル】
【ユダヤ】
【ソロモン】
【祇園祭】
【神輿】
【アーク】
【セフィロト】
【メノラー】
【カバラ】
【ウェシカ・ピスキス】
【三種の神器】 
【十種神宝】 
【源氏・平氏】
【媛・日女】
【吉野川】
【阿吽】
【狐】