『聖徳太子1400年御遠忌』


『叡福寺』!!
 … 『西方院』














きらクロネコちゃん↑きらキラキラ



『隔夜堂』




















『阿弥陀石仏』
 【大阪府文化財】












































『西方院 縁起』







『南向山 西方院』

大阪府南河内郡太子町太子1663




『聖徳太子御侍女三尼公御廟所西方院』は、
『常行念仏最古の道場』で
『お念仏の根源の地』であります。

即ち、推古天皇の30年(西暦622年)に
聖徳太子御薨去のあと、
月益(蘇我馬子の娘)・
日益(小野妹子の娘)・
玉照(物部守屋の娘)
三姫は剃髪され、
その名も善信・禅蔵・恵善と称されて、
『太子御廟』の前に一宇を建立して、
【太子の御遺髪】を納め、
太子御作の『阿弥陀如来尊像』を安置して、
ひたすら弥陀の『西方浄土』を
欣求されたと つたえられております。

その御遺徳をしのび、ご縁を結ぶために
『お念仏の同行』は、宗派を問わず各地から、
【お遺髪】(毛骨)や【お遺骨】を
当山の『納骨堂』に納められ、
また『追善供養』として『永代祠堂』を納められ、『お位牌』をおまつりして
『春秋のお彼岸』、『太子お会式』、『お盆』、
『ご命日』に参詣されます。
なお、当山では『納骨・永代祠堂』(永代供養)の各霊位の『日牌・月牌』を、
朝夕の勤行において御回向致しております。
お納骨、永代祠堂(永代供養)、
ご回向の法要についての詳細は当山寺務所に
お問い合わせ下さい。



本足跡












『南向山 西方院』












!! … の 前に 〜〜











『地蔵堂』




こちらへ !!





きらクロネコちゃん↑きらキラキラ




『三尼公御廟所』

















『三尼公』!! 。。。

『善信尼』
 (【俗名】月益、蘇我馬子の娘)
『禅蔵尼』
 (【俗名】日益、小野妹子の娘)
『恵善尼』
 (【俗名】玉照、物部守屋の娘)







蘇我馬子 !!。。。

小野妹子 !!。。。

物部守屋 !!。。。

の 娘 !!。。。

きらくろねこ↑きらキラキラ

【月】・【日】・【玉】 









































ではでは !!…











『本堂』


『本堂』
 - 本尊・『阿弥陀如来像』
(聖徳太子作との寺伝がある)、

『三尼公木像』、『聖徳太子御二歳像』安置。


本足跡









【本尊】『阿弥陀如来像』



推古天皇の30年(西暦622年)に
聖徳太子御薨去のあと、
その侍女(乳母)であった、
月益(蘇我馬子の娘)・
日益(小野妹子の娘)・
玉照(物部守屋の娘)の三人の姫が
その『御廟』の当地において剃髪・出家されて
尼僧となり、その名も
善信・禅蔵・恵善と称されて、
『太子御廟』の前に一宇を建立して、
【聖徳太子の御遺髪】を納め、
【太子御作】の『阿弥陀如来尊像』を安置して、
ひたすら弥陀の西方浄土を欣求されたのが
『西方院』の始まりです。





























きら キラキラ きら













『聖徳太子御遺髪納骨堂』



きら キラキラ きら



















『鐘楼堂』











日頃は
納骨霊位を極楽にお送りする
『引導鐘』として撞きますが、

大晦日は
煩悩を滅するため
『除夜の鐘』として
皆さんに撞いてもらっています。
またそれは
世の中の安穏を願う
『平和の鐘』でもあります。
 
本足跡





































『観音堂』




『観音堂』
 - 本尊・『十一面観音菩薩像』
(恵心僧都作との寺伝がある)安置。


本足跡


























『天井画』!! 龍 !!




















『西方院』(さいほういん)は、
大阪府南河内郡太子町太子にある
『浄土宗』の寺院。
【山号】は『南向山』。
【寺号】は『法楽寺』。
『新西国三十三箇所第8番札所』。







『西方院』

【所在地】
大阪府南河内郡太子町太子1663


【山号】
『南向山』

【院号】
『喜多院』

【宗派】
『浄土宗』

【本尊】
阿弥陀如来

【創建年】
伝・推古天皇30年(622年)

【開基】
伝・三尼公
 (善信尼、禅蔵尼、恵善尼)

【中興】
蓮誉寿正尼

【正式名】
「南向山法楽寺喜多院」

【札所等】
『新西国三十三箇所 第8番』
『河内西国霊場 第3番』
『聖徳太子霊跡 第33番』







【歴史】

『河内名所図会』等に見える伝承によれば、
推古天皇30年(622年)に聖徳太子が死去した後に出家した三人の侍女、
『善信尼』
 (【俗名】月益、蘇我馬子の娘)・
『禅蔵尼』
 (【俗名】日益、小野妹子の娘)・
『恵善尼』
 (【俗名】玉照、物部守屋の娘)
により、
『聖徳太子廟』がある『叡福寺』の門前に
その【塔頭】として『法楽寺』の寺号で創建されたといい、
『聖徳太子作の阿弥陀如来像』を【本尊】として【遺髪】を納めたと伝わる。

以上の縁起から、
【日本最古の尼寺】であるともいう。

ただし、『日本書紀』によれば、
『善信尼』は司馬達等の娘、
『恵善尼』は錦織壺の娘で、
『出家』したのは敏達天皇13年(584年)であり、日本最古の尼寺は『飛鳥の豊浦寺』である。
江戸時代初期の寛永16年(1639年)、
衰退し荒廃していた寺を蓮誉寿正尼が中興し、
名称を『西方院』と改めた。


本足跡



























































『三尊仏刺繍』
 - 「中将姫」が【髪】で刺繍したものと伝わる『弥陀三尊仏』。





中将姫 。。。。