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『夫婦岩』(めおといわ)

神様のお力によって押し開かれたと伝わる
大岩です。
岩と岩の幅は、わずか80cmしかありません。

良い心の持ち主が、願い事を念じて岩の間を通ると願い事が叶うといいます。
一方、悪い心の持ち主が通ると、
岩にはさまれてしまうといわれています。

江戸時代の書物には
「岩の間には天狗が住んでいて人間は通れない」と記されています。
近年はパワースポットとして注目されています。

東近江市指定天然記念物。

本足跡










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夫婦岩 ‼








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『太郎坊宮』










大きい !!




きらジジ!!きらキラキラ





そして!!…

けっこう狭い !!。。


人一人分くらい ♪。。。✨


にゃんこ。ダッシュきら↑きら
















































『夫婦岩』(めおといわ)

本殿前にそびえたつ大岩で
山側を『男岩』、
谷側を『女岩』と称します。

太郎坊大神の神力によって左右に押し開かれた大岩で幅80cm程の間道が12mに渡って通っています。
『夫婦岩』の間道は
東西より約10度のずれがあり、
『春分』や『秋分』前後の日の出、日の入りの
【太陽の通り道】と同じと言われています。

昔から「良い心の持ち主が祈願をこめて通れば、諸々の願いが成就する。
一方で、悪い心の持ち主が通れば、
岩に挟まれる」と言う言い伝えがあります。

江戸時代には
「太郎坊宮の夫婦岩は天狗の住まいなので、
人間は行ってはいけない」と書いてある書物まであったそうです。

「太郎」という名前は、
最も優れたものや最も秀でたものに付けられる名前ですので、太郎坊天狗は人々から畏敬された存在であったといえます。
そのため、太郎坊天狗が守る神社、
太郎坊の宮となり、やがて『太郎坊宮』が定着したと思われます。
そうした経緯から、当神社は「阿賀神社」と「太郎坊宮』の2つの名称をすることになりました。
人々は
『阿賀大明神(あがだいみょうじん)』
『太郎坊大権現(たろうぼうだいごんげん)』との尊称を奉り、ご加護を願ったといいます。

太古の時代にマグマが冷えてできた岩だそうですが、実際その場に立ってみると、大地の躍動と神威を感じずにはいられません。 

本足跡






女岩 ‼✨





男岩 ‼✨







通り抜けて ♪。。。













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『本殿』




『阿賀神社 本殿』‼ …
『成願寺 奥之院』‼ 。。。


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「阿賀神社」(あがじんじゃ)は、
滋賀県東近江市小脇町にある神社。
『太郎坊宮』(たろうぼうぐう)や
『太郎坊阿賀神社』の通称で知られている。

旧社格は村社で、
現在は神社本庁の別表神社。





「阿賀神社」

【所在地】
滋賀県東近江市小脇町2247

【位置】
北緯35度07分04秒
東経136度10分54秒


【主祭神】
正哉吾勝勝速日天忍穂耳命

【社格等】
村社・別表神社

【創建】
欽明天皇の時代

【本殿の様式】
権現造向拝付

『例祭』
3月24日







『歴史』


【神仏習合】

そもそもは、『夫婦岩』を始めとする巨岩を『磐座』として欽明天皇の時代には祭祀が行われていたようである。
推古天皇の時代、西暦600年頃に
『箕作山』に、聖徳太子が『摂津国』に建立する『四天王寺』で使用する瓦を焼くために
『瓦屋寺』を創建し、
ほぼ同時期に『箕作山』の一峯である
『赤神山』に正哉吾勝勝速日天忍穂耳命を祀る社を建立、『赤神山』の名前から
「阿賀神社」と称した。
また、当地の地名は『小脇』というが、
それは天照大御神がいつも小脇に抱えて
「此の脇の子」といってかわいがっていた
孫の正哉吾勝勝速日天忍穂耳命が降り立ったところであるからだという。

延暦18年(799年)、
「阿賀神社」の神徳に感じ入った最澄が
『薬師如来』を本尊とする『成願寺』を
『阿賀神社の神宮寺』として麓に建立した。
その際、
『修験道』の大成者である役行者の兄弟子であり、『赤神山』に住んでいた天狗の太郎坊が(弟の次郎坊は京都の『愛宕山』に住む)
山上に現れて、この地に一宇を建立するように最澄に告げ、『山の守護神』としてその建立を手助けしたという。

「阿賀神社」と天台宗の『成願寺』はやがて『神仏習合』し、竹中坊、上坊、松本坊、
行満坊、石垣坊、大泉坊などの社殿・僧坊が
50あまり建立されると、
薬師如来の縁日である八日に市を開いていた『八日市』の町も発展していき、隆盛を極めるようになる。
『成願寺』は「阿賀神社」境内の最高所に
『奥之院』を作り、
そこに『太郎坊大権現像』を祀るようになると、「阿賀神社」は『成願寺』の管理下に置かれて名称も両者を合わせて『太郎坊宮』と呼ばれるようになり、『修験道の霊場』になっていった。

『近江源氏』の佐々木成頼が麓の『小脇』に『小脇館』を構え、
やがて『赤神山』の横にある『小脇山』に
『小脇山城』を築城すると、『八日市』の賑わいもあって当地は『近江国』の中心地となっていった。

『佐々木氏』の嫡流である『六角氏』の
当主近江守護六角頼綱が本拠地を
『金田館』(金剛寺城)に移し、
さらに『応仁の乱』の頃に六角高頼が
繖山の観音寺城に居城を移しても、当地の重要性は変わらなかった。
しかし、永禄11年(1568年)に足利義昭を担いで上洛を敢行する織田信長とそれを迎え撃つ六角義賢との合戦に巻き込まれて炎上した。
その後、荒廃した『太郎坊宮』には、
後に信長を『千種街道』で狙撃する
杉谷善住坊・三木大学とその一味が住んでいたという。








【神仏分離】

「阿賀神社」はほどなくして再建されたが、
『成願寺』は遅れて江戸時代の寛永17年
(1640年)に宝寿院行承と弟子の祐盛が
本堂と鐘楼を建立してようやく復興した。
だが、僧坊の復興はかつてほどではなかった。
しかし、延宝年間(1673年 - 1681年)になり、
『成願寺』と村人が『赤神山』一帯の入会地をめぐって争い、『成願寺』が村人を幕府に訴える事件が起きた。
以後70年あまりの間、両者はいがみ合い続けたがついに村人側が勝訴した。

その結果、「阿賀神社」の神主は
村人・氏子が一年ごとに新しく任命し派遣する『当番神主制』が採用され、
ここに「阿賀神社」は『成願寺』の管理下から離れることとなった。
宝暦3年(1753年)、『成願寺』は
『奥之院』にあった『太郎坊大権現像』の他にいくつかの仏教関係の宝物を
麓の『成願寺本堂』に移して
『太郎坊大権現』と称し、
「阿賀神社」は『成願寺の奥之院』を
新たに『阿賀神社の本殿』に改め、
『太郎坊宮』と称するようになった。
ここに、いまだ『神仏習合』の形態ではあるが「阿賀神社」と『成願寺』は分かれる事となった。

1868年(明治元年)、『神仏分離』によって「阿賀神社」と『成願寺』は完全に分離し、
1872年(明治5年)には『修験道』が廃止され、
1876年(明治9年)になって『太郎坊宮』という名称は規制を受け、正式名称を「阿賀神社」とした。
だがしばらくすると『太郎坊宮』という名称は通称として使われるようになった。

1909年(明治42年)、
近隣10社の神を『相殿』に祀り、
1924年(大正13年)には『本殿の改築』を行っている。

1962年(昭和37年)、
麓から『成願寺』境内を通って「阿賀神社」に至る石段の参道しかなかったところ、
陸上自衛隊の手によって自動車で『成願寺』経由で「阿賀神社」にまで直接行ける
『太郎坊産業道路』が作られる。
後に道は『瓦屋寺』にまで伸ばされた。

2007年(平成19年)、東近江市が選出した
『東近江八景』に選ばれる。
2013年(平成25年)、『夫婦岩』が
東近江市の【天然記念物】に指定される。









【祭神】

『主祭神』
 - 正哉吾勝勝速日天忍穂耳命

『相殿神』
 - 蛭子大神、天満大神、大将軍大神、
日吉大神、十禅師大神、清水大神、
五社大神
(天皇宮・十禅師権現宮
・神明宮・岩神宮・八幡宮)









【境内】

『本殿』 - 宝暦3年(1753年)建立。
銅板葺で権現造向拝付、
元は『成願寺奥之院』。
『参拝所』が接続している。
前に懸造りの『舞台』
(床のみコンクリート製)がある。


『参拝所』
 - 1924年(大正13年)建立。



『夫婦岩』 - 本殿の前にある。
山側を『男岩』、谷側を『女岩』という。
幅80㎝の参道が12m続く。
神の神通力によって開かれたと伝えられ、
悪心のある者が間を通ると挟まれるとされる。
また、天狗が住んでいるともいわれる。




『腰掛岩』
 - 源義経が『鞍馬寺』から
陸奥国『平泉』の藤原秀衡の下に赴く際に
当地に立ち寄り、この岩に腰を下ろしたといわれる。
源氏の再興と戦勝を祈願した。



本足跡












正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神
マサカアカツカチハヤヒ
アメノオシホミミノオオカミ 




不屈不撓勝利福寿壽の神様

きら↑↑きらキラキラ








✨✨✨



【御神紋】
『輪宝』

 古代インドの武具を象った法具で、
諸悪を断ち、人々に安泰と幸福をもたらすといいます。 

本足跡





『本殿』

『太郎坊宮の神様』がおられる建物です。
江戸時代の建築を基にしつつ、
数度の増改築がなされています。
古い版画などにも現在と変わらない姿で描かれています。
本殿前の展望台からは
『万葉集』に出てくる
「蒲生野(がもうの)」、
『梁塵秘抄』に出てくる
「布施の溜」を一望できます。
ご祈祷は、こちらの『本殿』で承ります。

本足跡











『舞台』





















































きらジジきらキラキラ












 神 験 即 現

 




















天狗 ↑↑きらキラキラ




太郎坊大権現 !!

(『愛宕山』の大天狗は、弟で ‼…
その兄 !!。。だとか )



(『鞍馬山』の大天狗は、弟で ‼…
その兄 !!。。だとか )






きらくろねこ↑きらキラキラ