✨✨















※ 『赤間神宮』『八咫鏡』※
















きらクロネコちゃん↑きらキラキラ





『八咫之鏡発掘之地』!!




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『作東』







ここかっ !!✨✨



美作市 。。。土居 。。












『八咫鏡発祥之地』。

八咫鏡は三種の神器の一つ。
美作と播磨の国境付近のこの地に、
どのようなゆかりがあるのだろうか。







【八咫の鏡由来】

昭和三十三年七月十三日、
作東町天王谷の小社
(右方約三十メートルの山裾)より
天皇家継承の印しとされる『八咫の鏡』が
同所 春名義雄氏によって発掘されました。

美作の東部、勝田郡植月地方には
天皇家正統とする『後南朝』の歴史があり、
史実を裏付けるものとして貴重な品であるが、現品は発掘者春名氏によって
山口県の「赤間神宮」に奉献され安置されて居る。

一説によれば
源平の興亡を極めた『壇ノ浦の合戦』において、土居・妹尾家(前方の山の持ち主)の先祖が、命をかけて持ち帰ったものとの
ロマンに満ちた逸話もあり、
よって安徳帝を祀った同社に奉献されたものか、発掘者春名氏も今は物故の人となり知るすべもない。


『土居地区史跡保存整備委員会』


本足跡









『美作後南朝』ゆかりの神器だという。
高仁親王の時、幕府による没収から免れるため、『妹尾家』の先祖が持ち帰って埋めたものだという。
それともやはり、妹尾兼康ゆかりの妹尾家の先祖が『壇ノ浦』から持ち帰ったものであろうか。

実際には何の関係もない古鏡をありがたがっているだけのことかもしれない。
そもそも伝説にはそういう性質があり、
そう信じるかどうかの問題でもある。
さらに言えば、正史そのものも
広く一般にそう信じられているに過ぎないのかもしれない。
多くの人を納得させるだけの説得力ある根拠を示すことができるかが、正史と伝説(あるいは偽史)との境目なのである。


本足跡













八咫鏡發掘之地 !!✨






八咫鏡發祥之地 !!✨





春名氏 。。。





































ここから出てきた 。。この『鏡』が、
あの『三種の神器』の『八咫鏡』であったかどうかは …ともかく (笑)


『鏡』が、ここにあったことは 。。事実 ✨






『美作』。。。


『後南朝』。。。


きらくろねこきらキラキラ