陰謀論は情報の束ですが、恋は情報じゃない。
恋は他者です。
そして他者は情報の束として把握する事は出来ない。
わからない部分があるから向き合っても正解は得られないし、絶対に変えられないものが他者のなかにはある。
その「把握できなさ」みたいなところを感じることは、いろいろな局面で重要だと思っています。
熟議をすれば世の中がよくなるということは一方ではあるけど、他方では変わらない人たちもいるし、ハレーションも起こる。
そこで自分と異なる立場の人たちに自己同一化して感情移入するシンパシーだけではなく、
他者を分かりきれない他者として「存在だけを感じる」エンパシーは、恋愛においても社会生活においても必要な姿勢だと思います。
「偽情報社会の歩き方」について考える「みんなでファクトチェック」のコーナー。
ネットワーク報道部の足立義則デスクとお伝えします。今回は
「陰謀論と恋愛」
主人公は19歳の渡辺君、非正規雇用で工場で働いていますが、なかなか「自分の人生が始まっているというふうに思えない」と感じているという、この主人公の設定にはどのような考えがあったんですか。
魚豊:
まず格差を描きたいっていうことがひとつのテーマとしてあって、その格差ということ自体は残念ながら事実としてあると思うんですけど、
まず格差のあるキャラクターとして、主人公とその主人公が好きになる相手との社会的な立場に差を置いたっていうところがあります。
足立:
渡辺君に感情移入できる人は、結構、若者にいるんじゃないかと思ったんですけどね。
魚豊:
そうですね、僕も完全に渡辺君の要素があるので。
やっぱり何か深読みするところとか
被害妄想のところとか。
僕も漫画家としてデビューする前とか、今も思ったりしますけど何でこれが評価されないんだろうとか、何でこれが評価されるんだろうみたいなところに対して、
ものすごく逆恨みする
被害妄想な気持ちが
すごくあったので
そういう視野狭さくというか独善的な感じというのは、すごく描きやすかったですね。自分と近いので。
陰謀論を信じる人を嘲笑しない
足立:
陰謀論についていろいろと取材をされる中で、なにか以前と印象が変わったことはありますか?
魚豊:
例えば、陰謀論のデモに行っている方たちも、あまり陰謀論に詳しくない人たちが結構いるらしいんですね。
あれ自体がコミュニティーというかサークルとして機能していて、デモ自体というより、その後の飲み会の方が重視されていたりするという事を聞いた時に、なるほどと…。
そういう、本当に
人々の不安とか孤独みたいなものに
寄り添う形として陰謀論というもの
が出てきて
それがすごい結束感、しかも正義
というところに結び付くので、
それはしかも人間の美しいところでもあるわけですね。社会を良くしたいっていう。
柴田:
同じ共感する仲間たちと手を取り合って、目に見えない巨悪に向かって、戦いを挑むっていう…。
魚豊:
陰謀論を信じる人の特徴は、社会的な格差とか、例えばお金をめっちゃ持っているとか持っていないとか、学歴がいい、よくないとかはあまり関係なくて、
「不安である」っていう心の状態の方が関係しているというようなこと、
それはすごい意識して描きましたね。
柴田:
でも決して渡辺君を、何かバカにしていない描き方っていうんですか。つまり、陰謀論にはまっていってしまう若者を上から描いていないっていうんですかね。
魚豊:
そうですね、それは一番本作を描く時に気をつけようと思ったところというか、陰謀論を信じる人たちを嘲笑するような漫画には絶対したくなくて。
というのは僕も別に全然、できた人間じゃないし、しかも別に陰謀的なことを信じている事もあるだろうし、そして僕が信じていることも間違っている事がいっぱいあるだろうし。
ただ、上から描くということはないだろうなと意識をしていること、そのこと自体が、上からというか特権性ではあるので、そこは本当に申し訳ないと思いつつ、それでもできるかぎり「かわい気」みたいなものを描きたいなと思いました。
それは、自分の中にいる渡辺君っていうキャラクターを描いてるから、そんなに露悪的にしたくないっていうのはものすごくありましたね。
陰謀(いんぼう、英:plotあるいはconspiracy)とは、人に知られないように練る計画のこと[1]。
ほぼ同じ意味で「謀略」や「謀議」の語も用いられる。歴史的に古い陰謀事件は「~の変」と呼ばれていることもある。
この表現には何らかの価値判断("悪い"という判断)が含まれている[2]。よって、立場によって表現が異なることがある。
計画を練っている側の人らは、通常それを「陰謀」などとは呼ばない。一般に単に「計画」や「作戦」などと呼ぶ。あるいはせいぜい「極秘作戦」などといった表現である。
また、まったく同じ事象であっても、それが「陰謀」と表現されると拒絶し、「戦略」と表現されると受け入れる人もいるという[3]。
一般に、相手にとっては不利となる行為を計画する時、人(グループ)は計画を練っていること自体を相手に伏せる。例えば、何らかの事情・目的で人を暗殺しようと考えている人やグループは、その実行計画を表立っておおっぴらに練ったりはしない。当然ながら相手側に知られないようにその計画を練る。暗殺されそうになっている(されそうになった)側から見れば、その暗殺計画は「陰謀」ということになる。
その50音表のなかで
難度が高かったのは
り は、りんごの「り」
「りんご」と発音するのは
りくにとっては結構難しく、
りくの発するそれは
陰謀 に聞こえたのだが
日常生活のなかで幼児が突然
陰謀の存在
を語りだすことはない
おにぃちゃん 3歳2か月
りく 1歳
つかまり立ちはなんとか
できていた頃だと思うけれど
移動の主力は 4足ハイハイ
それでも
自分の意思で
3歳のおにぃちゃんの後を
楽しそうに ついて歩いていた。
楽しいことには
いつもりくを誘う
困った優しいおにぃちゃん
その日も
ある危険な場所に
りくは誘導されていた。
それは 大人用
ダブルベッドの上
おにぃちゃんにとっては
いつもの寝床
馴染みある 安全な場所
りくにとっては??
子どもの遊び場としては
充分な広さではあったけれど
洋服のまま そこで遊ぶのは
不潔であるということと
なにより
子ども用ベッドとは違う
転落のリスク
ベッドの上で遊んではいけない
寝るための場所だよ
日頃から そう
言い聞かせられていたはず…
だけれど
母親が気がついたとき
おにぃちゃんはすでに
ベッドの上にいた
ベッドの上に あがる動作も
ベッドから 下りる動作も
おにぃちゃんにとっては
朝飯前の入浴後
自由自在
盗み見ている母親の視線には 気づかずに
ベットの上からりくを呼ぶ
けれど
ベッドの端につかまって
ニコニコ笑いながらも
まだ独力では
立位も安定しない りくが
片足をあげようとしても
バランスはとれないし
乗り上がるほどの
腕の力も体幹の安定性もない
おにぃちゃんが 両手をつないで
引き上げてみようと試みるが
りくの体は そんなに小さくはない
標準一歳児
3歳児の おにぃちゃんには
抱きかかえあげるほどの力は
なかったようだ
いずれ、あきらめるのだろう
無理矢理に両手を持って
引っ張りあげて
肩や肘関節を脱臼させるようなことだけを阻止すればいい
そう思いながら
ひきつづき ほくそ笑み
盗み見る 母親は
語りの市原悦子
おにぃちゃんが いよいよ
ベットから下りて
りくの 足元に跪き
そのまま四つ這いになった
りくは すぐに
その意味を理解したようだ
踏み台
躊躇なく 兄の背中に足をかけ
階段代わりに使いこなして
軽やかに ベッドに乗り上げた
大満足であっただろう
「りくのほうが
俺より頭がいいよね。」
兄にそう言わせるまでに
りくが成長発達を遂げたのだとするなら
それはおにぃちゃんが
自ら志願して弟であるりくの
踏み台になっていたためである。