我が家には、兄をヒーローのように慕う次男のりくがいる。
そのりくは、昔兄に置き去りにされた過去があるが、都合よく記憶を改ざんしており未だに真実を知らずにいる。
おもしろいことの一つも
言えないくせに
話しだしたら長い
これは、私の職場のみえさんが、『最高の旦那』を評したつぶやきである。
とはいっても、
みえさんは、スタンスフォード大学レベルのユーモアの持ち主であるから
みえさんの求める「おもしろいこと」を言えない旦那氏は、ごく普通の人である。
そんなみえさんが先日言った。
「うちのお姑さんが、何度も繰り返す話がある。」
それは昭和40年代初頭、まだ内風呂がさほど普及していなかった頃の話だった。
お姑さんが母だった頃のある夕刻
ふたりの男の子を連れて、社宅の並ぶ道沿いに建つ社員家族専用の公衆浴場に行った。
洗髪をして顔を上げたら、
3歳児だった次男ー未来のみえさんの夫(以下みえ夫)ーが、いなかった。
長男(小学一年生)に、「みえ夫は?」と聞いたら「いないねぇ」と答えた。
公衆浴場で
忽然と姿を消した3歳児
母親は慌てた。
沈んでいるかもしれない。
しかし、幸か不幸か浴槽の中に
みえ夫はいなかった。
外に出た??
番台に聞いてみたが
「そんな小さな子どもは見ていない。」と言った。
が
そんなはずはない。そう思い直し
慌てて服を着て、外に出たら
そこに金魚屋さんがいて
そのそばに、全裸でしゃがみこんでいるみえ夫がいた。
「裸でどこから来たのだろう」と、金魚屋さんのおじさんは思ったのだそうだ。
全裸だけれども
ちゃんと
自分のピーピーサンダルを、履いていたというのは、さすが3歳児であると思う。
昭和40年代
高度経済成長期
父が仕事へ 兄は学校へ
お母さんと僕はお家
それがスタンダードだったはずの ある朝にも、また
みえ夫はいなかった。
しばらくたった頃
みえ夫は、小学校の用務員のおじさんと手をつないで帰ってきた。
「学校の子どもにしては小さいなぁと思っていたら、みんなが(授業がはじまって)いなくなっても、まだグラウンドにいるからおかしいなぁと思って」
「聞いても、まだあんまり話せないみたいで何も答えなかったけど」
「〇〇(その社宅の地域の通称)って言うから、このあたりかなと思って。」と言った。
兄の後を追いながら、小学校まで行ったみえ夫を用務員のおじさんが、連れて帰ってきてくれた。
という話であるが
「そんな小さな子どもは見ていない。」
「裸でどこから来たのだろう」
「学校の子どもにしては小さいなぁ」
昭和のおじさんの子ども理解とは、こういうものだったのだろうか。
「好きなことがわからない」
「やりたいことがない」
そんな悩みをもつ人がいる。
けれど
探している時点でそれは違う。
「ぼく、もうすぐ アフリカに帰らなければいけないの?」
そう言ったりくの涙に
私は 少し動揺した。
子どもを
あまくみていた。
そう思ったのだ。
3歳児の世界は
1話完結ではなかった。
ぞうさんとの過去
お母さんとおにぃちゃんと
育爺とおばあちゃんとの現在
将来ぼくは 象さんのところに
帰るのか…
人間として過ごした家を
泣かずに出ていった
3歳児だった
あの頃よりも
長い過去
それを背負った
りくは いま
象のようにたくましく
一歩一歩を
ふみしめているのだ
彼の未来は
アフリカの
大草原のように
壮大なものに
なるはずである
すべての幸せな家庭は似ている。
不幸な家庭は
それぞれ異なる理由で
不幸である。