シングル家庭で

 子どもを育てること



「シングル子育てって、やってみるまでわからなかったんだけど、実際やってみると案外楽なんだよなぁ。」


と感じたことがあるが


目指すものでもすすめるものでもなく、共感し合いたいとは思わないし共感してくれる人を増やしたいとも思わない。


「案外、楽」そう思うのは

夫婦で子育てすることをやめたあと


私の親(祖父母)がその手助けを望んでくれたからなのだろうし、私とその周辺に限った追憶の日々にすぎないからでもあり


なにより、夫婦で育児をすることとの比較ではないからである。



これからの二十年

親も子も

困難をきわめるだろう。


幼い子どもを連れて離婚するときには、そういう予測をたてたけれども

案外と。。。


そういう意味合いのほうが強い。


それでも、子どもの立場を度外視した上「案外楽」とつい思い、それを発信してしまう時というのは



これから

シングル子育てを 

はじめるかもしれない人に


出会ってしまったときである。







離婚した時、私自身はまだ20代で2年ほどはなんとか一人で育てた。とはいえ


正規職員フルタイムで仕事をしていたわけではなく、いざというときには当時育児真っ盛りで専業主婦をしながら近所に住んでいた姉が、たびたび助けてくれた。


実家近くに転居して正職員として再就職をした時は、私はまだ30歳で両親はそこそこ健康なアラ還。



親も自分も年をとるので、もし私が晩婚だったら育児環境は変化しただろう。


育爺(私の実父)が亡くなったのは、長男高校1年生、次男が中学1年生になった年の6月だった。


72歳で肺ガンにより余命3ヶ月の宣告を受けたが、永眠のひと月前まではアルバイト程度の自営や時間講師の仕事をしながら、現役正社員・父親時代よりもずっと長い時間を孫育てに注ぎ込むことができた。


育爺が亡くなって以降1年以内に、祖母(私の実母)は、2回の手術を経験していて、その後に生まれたひ孫を抱きあげることはできない。


身内のいろんな条件がうまく重なり、応援と愛情を基盤にした実質的な育児行動が伴っての


「シングル子育てって、やってみるまでわからなかったんだけど、実際やってみると案外楽なんだよなぁ。」なのである。



支援者の有無、同居か別居か、別居の場合の距離、自分の仕事の形態は。。。


子どもの心身の健康と安全を守りたいと、私程度にはまともな親権者であるなら、みな思うだろうが


その実現は思いの多寡ではなく

支援する側のライフステージと生活状況に家族観や教育観のようなものの見方を加え、さらに各人の関係性や相性にも大きく左右されるものである。



離婚後の元配偶者や元義実家との付き合い方は、


子どもにとって少なくても

今のところはおそらくベター


くらいの距離を手探りするしかないように思う。


元配偶者との面会が子ども自身の負担になったり害を与えたりしなさそうであるなら大人の都合で制限をかけることではないだろうし、養育費との交換条件にするものでもない。


関係性は近くても遠くても目に見えるものではないし、「将来」というのは目を凝らすほどに見えなくなることもある。


「離婚理由」は基本的には子どもの育ちにはとりたてて関係なく、元義実家ぐるみの執拗なストーカー行為や子ども同士が友人だとか近所の人同士のダブル不倫みたいな特殊な事例を除けば、離婚後の生活にも大きく影響はしないと思う。


もちろん、子どもの成長発達上好ましくない巻き込まれの懸念や子どもを困惑させるリスクが高い場合には、縁を切ることが必要と思う。


暴言、暴力、子ども相手の泣き落とし、親権者と子の関係を損なわせるような悪口やお金の無心などである。


n=1のフィールドワーク

シングル家庭で

子どもを育てる




その結論をシンプルに言えば

シングル家庭でも子どもはまともに育つ。


それは


周囲にいられる

まともな大人が力を合わせ

心を込めて関われば


子どもに備わる育つ力が

子どもを育てるということである。




家庭内の役割分担なんて

まともな大人が揃っていれば

案外どうでもいいのでは?



母親は家事と育児

父親が一家の大黒柱稼ぎ頭でも子どもは育つし


母親が大黒柱稼ぎ頭で

父親が家事と育児でも子どもは育つし

夫婦共働きであろうと


たとえ、両親がいなかろうとも


子どもはまともに育つ。


以下、昨年の元旦に長男が私の前で座礼してお年玉を差し出した2ヶ月ほど前の記事である。



 

母親である私にも

母親であるからこそなのか


予測も推察も判断も

できるとは思えなかった。


「答え」があるのだとしたら、それは長男の中にしか存在せず


答えを操作するようなことは、絶対にしてはならない。


そう思っていたから

「親に感謝を」


まるで、人類すべてにとっての正しい心のあり方でもあるかのように唱えられるそのフレーズを


疎ましく感じていた。


生きる力とは

自由に生きるための力のことで


「人とともに生きる」ことを支える「感謝の心」の行き先を、自分で決める自由が保証されたなかで育っていくものなのだと私は思っている。


親がどんな人間であろうと

親への気持ちがどうであろうと


自由な心で、幸せを創造しながら生きられる大人にはなれるのだと私は思うし


「感謝できる親」「感謝したくなる親」の存否が、人の成熟や生き方の限界を決めるものと思いたくはない。


大切なのは


生まれてきたという事実と

生きようとする意思であり

生きる力の源には、感謝の心が存在する。



だからこそ、その過程で

誰に感謝すべきかという

きわめて重要なことを


子どもであるからこそ

大人から言われて従ったり

教えられて覚えるようなことではないと思う。


結婚が

必ずしも永遠のしあわせを

意味しないのと同じで


離婚したからといって

何かから逃れられるわけでもないし

何かを取り戻せるわけでもない。




傷ついた物語の語り手

フランク A.W  


「病の物語は、難破によってその海図と目的地を見失うところから始まる」


人生を航路にたとえると、病やけがは嵐となって襲ってくるものであり、それによって自分が描いていた目的地や目的までの行程が見失われる。


病気にもさまざまなものがあり、一時的な症状で回復するものもあれば、治療が生活に組み込まれるもの、回復が見込めないものもある。


医療スタッフは

病気の性質とライフステージを組み合わせながら、その人が健康課題に取り組めるよう支援する。



ブランクは

「混沌の物語の中にいる者に対して医療スタッフがとりかねない最悪のふるまいは、その人が先にすすむようにと急き立ててしまうことである。」と警告し


病の物語中断された時間の中から、あるいは混乱の中からつくりあげられていくものであることを述べている。


成人に限らず子どもにおいても、死を認識できるといわれている。


「死」という言葉を使わなくても、患者が死に関する問いかけをしたときに向き合えるようにするためには、生命や死について普段から思索しておくことが重要である。



 


離婚してから数年後

小学生になった長男から

「おかあさん、どうして離婚したの?」と聞かれた時の話である。


私の中にしかない、その答えを

今は大人になったとはいえ

子どもたちに説明するのは

容易くはない。 




ここで愚直にいわせてもらえば


同じ空間にいることが

不愉快でならない。


まして、同じ家庭で自分の子どもを

父と母を名乗りながら

育てていくことが


とてもできないほどに

嫌いになってしまったからである。 


そんな身勝手な都合を

子どもに言うのか言わないのか

どう言うのか。


重要ではないような気が、ついしてしまうのは追憶だからに違いない。