離婚はさせない。

離婚することがあったとしても


子どもは、うちで育てる。

そこだけは

間違えないでね。



そう言ったのは、

大学生になった長男が、コロナ貧乏になったことを知り、20万円を送金し「誰にも言うな。」と口止めした、男気ある元義父である。



離婚


それは、私にとっては

数年間 迷いながらも


家庭内人間関係、とくに、元夫の特性と行動を観察した末の、計画的なものではあったけれども


立場を変えてみたならば

元夫と元義父母にとっては


寝耳に水であったのだろう。




元夫の不快で不可解な行動は、彼にとっては「離婚に至るようなこと」だとは思わないからこそ、できたことだったのだ。


ということが、よくわかった時





だから、そういうとこだよ。

だから、こういうことになるんだよ。


と、思っていたけれども


「離婚に至るようなこと」を「離婚に

至るほどのことではない」と認識して、繰り返し行うことは

 

離婚に至るような夫婦関係のなかでは、珍しくはなさそうでありながら


それらをひっくるめたものを

「すれ違い」と言うのだと思う。



それでも離婚に至らない夫婦も、多く存在するものと思う。








そんなこんなで

元夫のサインのある離婚届に

親権者を私にする旨を


元夫自身に記載してもらい


私も子ども達も、元夫の姓

とりあえずは引き続き、名乗り続けることにして

これは、すでにフルネームをはっきりと言うことができた長男への配慮であると同時に、元夫や元義父母の心情を思ったときの、私自身の贖罪の意味もあったことは、確かである。




それらの届を数日後に、提出した。







離婚直後



私と子どもたちは

結婚生活をしていた街から、30分ほどの小さなアパートに母子家庭として新居をかまえた。



そのアパートで、元夫から「親父が云々」の話を聞いたり、義母から「納得できない」との電話を受けたりしていた、そんなある日




元義母が、一人でやってきた。


子ども達は、保育園に行っていたのだと思う。「子どもがいない時間帯」を選んだのは、元義母らしい配慮である。


私と元義母

たった2人の その空間に


元義母は、いろんなお土産を並べつつ、育児やなにやらで忙しいであろう、離婚したばかりの元嫁(私)を労りながら、穏やかに話を切り出した。


「しばらくの間、逆にしない?

怪訝な顔をした私に



義母は、やや言いにくそうに、そして探るように、


いぇ、私の反応をみながら慎重に

話を続けた。



「まこちゃん、とても大変だと思うの。これからしばらくは。」


「だから、忙しい平日は

うちで子どもたちを預かって」 


「週末は、まこちゃんと子どもたちが一緒に過ごすの。」



「子育てと、勉強と、仕事なんて

3足の草鞋は履けないのよ。

だから、落ち着くまでの1年半。」



「私は、そのほうがいいと思うし。じいちゃんもね。」


「『うちの姓を名乗っているなら

面倒をみてやってもいい。』って。そう言っているから。」