小学校5年生
終業式
夜、仕事の終わりにおにぃちゃんの病室にいくと大量の荷物。
メロディオン、リコーダー、お習字セット、お道具箱、図工の作品、鉢植の花、プリント類。
先生が持ってきてくれた。
あーそっか。明日から学校は夏休みね…
忘れてたわ。
学校に電話をして私が取りに行くべきだったのですが。
すっかり忘れておりました。
先生も大変だったと思います。
この対応が一般的なものかどうかはわかりませんが
このときの担任の先生は、初回発病後に給食登校をしていたときと同じ先生です。
そして、学校の体育館で転倒し頭を強打したあとにそのまま授業を受けて、数時間後に体調不良を訴える息子を前にオロオロと😅電話をくれたときの先生でもあります。
保健室の先生が、たまたまお休みしていた不運が重なり、先生もかなりの心労だったと思います。
20代半ばの男性教員S先生。社会経験を経てから採用試験を受けたとのことで、この頃にはほぼ新人。
縁あって、高学年でまた担任になりました。
6年生の運動会
最後の運動会の練習がはじまって間もなく、また入院することになりました。運動会、無理かな?と思っていましたが、どうにか前日に退院できるかもしれないという見通しのところ、
運動会の席は、どうしますか?保護者席のくじ引きがありますけど…。
まだ、出席(退院)できるかどうかわからなくて、出席(退院)できるとしても見学。
保護者席を決めるくじ引きの日は、もちろんおにぃちゃんはいないので、6年生保護者席を確保できないってことかな?
りくのクラスでくじをひかせてもらうことにしました。
数時間後に再度、電話がきました。
やっぱり、代理でくじをひいて6年生の保護者席をとることになりました。話し合いでそうなって…モゴモゴ
ゆずきくんがもし運動会に来られなくても、弟さんがいるのでおかあさんは来ますよね?それでもいいですか?
先生同士の話し合い?
はい、よろしくお願いします。
運動会当日
入場行進だけの参加。
もちろん、クラスのお友だちと児童席で応援していたおにぃちゃんですが、クラスのみんなが競技に出るとき保護者席にやってきました。
先生がどっちでもいいって言った。
ん?
みんな競技者の待機席にいっちゃうから、俺はここにいてもいいって言われた。
保護者の観覧席にいてもいいの?と疑問には思いましたが
ここにいてはだめと言ったら、行く場所がなくなってしまうとかわいそうと思い一緒にいました。
仲良しのたくやくんのお父さん
職業は他校の小学校教員
競技に出られず保護者席に
寂しそうに?だったかはわからないけど
座っているおにぃちゃんに
一足先に
中学生になったみた
いだね😆
とさすがの気のきいた声がけ🎵
しばらくすると4年生のときに担任だった、中堅男性教員K先生がつかつかとこちらに歩いてくるのが見えました。
隣で母(婆)が
あっ、やっぱり来た来た。K先生来るわ。
とつぶやきました
なんでそこにいるの?
参加者でしょー。競技には出なくても、点数管理とかグランド整備とか
6年生は
やることがいっぱいあるんだよ。手伝って!!
おにぃちゃんに役割と持ち場をテキパキ指示して、保護者席から追い出した(笑)あとにいいました。
こっちの席のほうが、りく君の3年生の席よりも絶対見やすいから。だから、毎年6年生の保護者席はこのエリアって決まってるの。ゆずきだってお昼食べるとき、りくの学年の席よりもこっちのほうがいいしょ。友達みんなこっちにいるし、上の子の学年の席に保護者がいるって決まってるんだから。
修学旅行1ヶ月前
内服しながら登校を継続していました。参観日のとき、学校前で交通整理をしていたS先生に会いました。
修学旅行は行けそうなの?
いまは、入院も必要ない状態ですしね。薬は欠かせませんけど。
薬?持っていけば自分で飲めるんでしょ?体調管理して
行きましょーね。
絶対!!
おにぃちゃんは、行事や研修~とくに宿泊を伴うイベントごと~が大好きです。学校行事でもない地域キャンプにもステロイド持参で参加したほど(主催の教育委員会に確認したらとくに規制はないのでとあっさり参加させてもらえました。)
他校にご自身の子どもさんがいて、そこのイベントでも保護者として大張り切りという噂のK先生ですから、自校でしかも一度担任したことのあるイベント大好き病弱少年の行方を気にかけてくれていたのでしょう。
頻回再発型難治性ネフローゼ症候群
まだまだ、原因がわからず症例によって経過も多様で、熱心に研究に取り組まれている病気です。免疫機構によるものと考えられる根拠がたくさんあり、ステロイドが効くことも知られている。1度の発病で済むこともある反面、再燃を繰り返すことも多く経過が多様。おにぃちゃんの場合は中学1年生の再燃を最後に、ステロイドから免疫抑制剤にきりかえながら、微量の蛋白尿は気にせずに過ごしました。高校生になっても再燃しなかったので、免疫抑制剤も中止しました。大学3年生の今は、6か月毎の定期受診で経過観察。内服ゼロになって、そろそろ4年がたちます。その間、臨床試験に参加したりしながら医師や看護師、ソーシャルワーカーの方々にはとてもお世話になりました。
学校ではとてもユニークでお友達大好きな小学生でした。
(大学生になった今もこれは変わりません。)
大きな声で走り回り友達とはしゃいでいるのに、突然何週間も欠席する。マスクをして病み上がりの風貌で登校するが、まだ寒い時期にもジャンパーを振り回しながら走って下校していく(S先生からの電話で知りました笑)。
先生からみてもお友だちからみても、得体の知れない不思議な生き物にみえることもあったかもしれません。
ゆずき、病気なんでしょ?おとなしくしてなよ!
なんで、急に痩せたり太ったりするの?
女子小学生に心配されながら、おにぃちゃんらしさを貫いた小学校生活。
中学生になって、買い置きのサージカルピンクマスクをして登校したことがあります。
ピンクマスク…
坊主頭の学生服にはさすがに奇異にうつり
ブルーはここにあるよ
と声をかけましたが、
大丈夫。これでいい。
と登校したのは1度だけ。
おまえ、なんでマスクがピンクなんだよ
と仲良しの女子に笑われたとのことで、翌日からはいつもの白かブルーに。
かなり話がそれましたが、
K先生
低学年のときの給食登校、なにも言わずに受け入れてくれてありがとうございます。
学年が上がり、寛解期でも月に数回は通院していました。病院が終わってそのまま登校するので、給食登校のようになってしまうこともまれにあり。
そんな生活が当たり前になっていた
小学4年生のある日
なにしにきたの?こんな時間に。
と当時の担任S先生に突っ込まれ、
それ以降、受診日は登校するのを
やめました…。
何時に行ったっていいべゃ(爺の影の声)
K先生にとって、おにぃちゃんは初めて受け持った難治性ネフローゼ症候群の男児。どうしてあげたらいいのか、わからないことがたくさんあったと思います。
教育委員会でも報告される長期欠席児童として注目されていたと、のちに教員である知人から聞きました。
S先生、校長先生、教頭先生、多くの先生から助言ときに叱責?を受けながら担任してくれていたことも。
でも、K先生がしてくれたことでおにぃちゃんにとって特に困ったことはありませんでしたよ✨
もちろん、中堅S先生がいろいろ気にかけてくれたことも、とくに運動会での配慮はとてもありがたかったです。
その時期に応じて必要なことは違うし、その時の先生と相談しながら生活していくということが、子どもにとっても親にとっても必要なことなのだと思います。それぞれの教員役割や親役割、そして子どもにもその年齢に応じた学習者として闘病者としての役割がありながら、みんな個性のある人間です。それは、子どもが社会にでてからも同じです。
病気のことを自分で理解しながら、社会との折り合いをつけて生きていくこと。小児慢性疾患患者の課題ですよね。彼らはいつまでも子どものままではないし、親がしてあげられることは実はとても少ない。
健康な子どもを育てることと、根本は一緒です。
卒業式、泣きながらのS先生のご挨拶。
君たちは、先生にとってはじめての卒業生です。
ほんとうに、おつかれさまでした🙇♀️
ありがとうございました。
今ごろはきっとどこかで、中堅教員としてご活躍と思います。
その後、何人の卒業生を出したでしょうね。
おにぃちゃんのこと、覚えていてくれたらいいなぁ