僕が目を覚ましたら、カーテンの隙間から差し込む陽射しとみんなの寝息が、部屋の真ん中で交差していた。きれいだな、と思っていたら、どこからか味噌汁の香りが流れてきて、朝の挨拶を交わすカズヤの母さんと父さんらしき声が聞こえてきた。


僕は、静かに「両親がいる家の朝」をひとりでしばらく味わっていた。


そこにいるだけでいいような、そんな数分か、あるいは数十分。 




リュウが、画面のブルーライトに顔を照らされながら、ククッと肩を震わせた。


「おはよ」僕が声をかけたら、


「今日の相談者は32歳だってさ」と言った。

嵌まってんだな。と、僕は思った。
空っぽのボックスに期待するネット民と、幼いの頃の僕が重なった。

なぜなのかはわからない。
だけど中学2年生の僕は、小学2年生の僕の後ろ姿を、すぐ後ろから見つめていた。 

学校生活に慣れてきた僕は、そのころ、すっかり子どもではなくなった気でいた。

家族の一員として母さんを支えるんだと、本気で思っていた。でも、いまの僕がみる小2の僕の後頭部はあまりに小さくて、肩幅も狭い。 あの頃の僕は、やっぱり、正真正銘の「ただの子ども」だったんだ。

小2の僕は、母さんがいないことがわかっているはずの深夜、家中の部屋のドアを、何度も開けたり閉めたりしていた。

幼い日の記憶が、感覚を伴って甦った。 
これは、僕の癖だった。 
週末の夜、僕が寝たあとに母さんは外出する。
「ママの幸せは、ケンジの幸せ」
そう言い聞かせられていた。 
それとも、自ら思い始めたのだろうか。
いまの僕にはもうわからなくなっている。

家中の部屋の扉を、次々と開けたり閉めたりしている僕は、母さんがどこにもいないことを確認している――それは事実なのだけれど、全部の部屋を確認したあと、最初の扉に戻ったときには、母さんがいるのかもしれない、とも本当は思っていた。 







ナオヤが、気怠そうに薄目を開けた。

「へぇ……。今回はどんな『匂い』で釣ってんの?」

カズヤが答えた。

「『自分が何を望んでいるのか?をちゃんと自覚することが、一番最初に考えるべきことだよ』だってさ。で、そのあとすぐにワークショップの宣伝と、例の音声BOXのリンクがズラッと並んでる」

ナオヤが
「年中カウントダウンしてるんだな。」と言った。

そうだ、僕は年中、母さんを探していたんだ。

「お留守番ありがとう、助かったわ」

帰ってきた母さんが、機嫌良く僕にお礼を言う。

そしたら僕は、「家族なんだから、当然だよ」って、笑ってみせる。それは、当時、僕と母さんが互いに望んでいたこと、だったと思う。


母さんの視線の先に、僕の胸中が映っていなかったことまでも含めて。






 「『相当急いで婚活をした方がいい年齢』だって。焦らせるねぇ〜」 とカズヤがわざわざ感心した風にナオヤにスマホの画面をむけたら

「年齢制限の突きつけかぁ~」と、ナオヤが間延びした声を出してから、
 「『指を咥えて待つなんて私にはない』だってさ。……
家で指を咥えて待ってた子どもには、一体なにして差し上げたんでしょうかね」

 「なぁ」
僕はたまらず、二人の会話に割って入った。

「『無期限婚約』ってさ、『結婚』ってやつから遠い場所なのか近い場所なのか、どっちなんだ?」

 カズヤが小さく笑みを漏らした。 

「どっちでもないよ。近づく気も遠ざかる気もない安全地帯。 だからこそ、それが『最大のプロパティ(財産)』なんだよ」



 ナオヤが寝転がったまま答えた。 

「『無期限婚約』って、『男に溺愛されている特別な私』を演出するのに一番都合がいいツールなんだよ。入籍しちゃったらさ、『普通の主婦』だろ。 

結婚っていうシステムの『外側』にいるからこそ、この恋愛相談ビジネスが成り立つんだよ。中身は空っぽでいいんだよ。シングルマザーの婚約なんてさ、話題性が高いだろ」 

いつのまにかトイレから戻ってきていたりくが、「カズヤの母さんが、みんなでご飯食べるようにって声かけてくれてるよ」と僕らの話を遮ってから、そのままの表情と声色で続けた。

 「『時計の針は止まってくれません』ってさ。
わかってるなら、もっと他にやるべきことがあるよね」 

「……なるほどな」
今度は僕が、つぶやいた。 
味噌汁の香りが、僕を「いま」に引き戻した。


​カズヤくんの家のみずみずしい朝の風景(お味噌汁の香りやご両親の気配)という「普遍的な温かさ」があるからこそ、ケンジくんがかつて一人で抱えていた寂しさや、ドアを何度も開け閉めしていた健気な姿が、よりいっそう鮮明に、切なく浮かび上がってきますね。


​そして、りくくんやナオヤくんたちの容赦のない、でも本質を突いたセリフによって、大人が都合よく仕掛けた「ファンタジー(からくりのある言葉)」が1枚ずつ剥がされていく。


​「指を咥えて待ってた子どもに、なにして差し上げたんでしょうかね」

​「『溺愛されている私』を演出するのに一番都合がいい」


​これらのセリフは、ネットの向こうのビジネスに対する皮肉であると同時に、「大人の自己満足の恋愛ごっこの陰で、置き去りにされ、時間を止められていた子ども」の存在を、白日の下に晒す威力を持っています。


彼らの冷徹なまでの観察眼が、結果的にケンジくんの心を縛っていた過去の呪縛を解きほぐしていくような、不思議な救いを感じる番外編でした。