【演歌道】


1990年登場
メーカー 三共
羽根物
演歌道I:賞球数 ALL13
演歌道III:賞球数 7&13



1990年の大昔に存在していた『演歌道』という名の羽根物。


この年に登場した羽根物を少しばかり挙げると。

1990年 ビッグベン(平和)
1990年 うちのポチ(三共)
1990年 汽車ポッポ Ⅱ (三共)
1990年 演歌道 (三共)
1990年 道路工事(三共)
1990年 ナイトドラゴンⅦ (三共)
1990年 パチンコ大賞 (西陣)
1990年 おジョーズランド(西陣)
1990年 サメざんす(ニューギン)


ええパチンコ機ばかりがパチ屋に何台も設置されていて、しかも実際に打つことが出来たんやからね。ホンマええ時代やった。


この演歌道の役物は小学生の夏休みの工作のような手作り感満載の作りであった。



そんな手作り感満載の役物は、この時代の羽根物には多く存在していて、道路工事然り、サメざんすもそうやった。


(´ω`)y━・~~



残念ながら、大昔のこの羽根物『演歌道』を打った記憶が失せてしまったようで、どこのパチ屋で打ったのか思い出せない。


以前に【パチ屋今昔物語『加古川』編 その⑨の3 ~ 加古川にある◯ニャコというパチ屋での羽根物演歌道】にてこの演歌道のことを書いている。


薄らと記憶に残っているのが、その◯ニャコ店らしきパチ屋で打った記憶のみ、それだけが残っている。それも曖昧な点が多い。


何故、唯一それだけ記憶に残っているのかは、印象深い出来事があったからだろう。


(´ω`)y━・~~




そのパチ屋へ打ちに行ったのは、記憶に鮮明なのが夕方近くの西日が入ってきていた時間帯で、あるパチ屋の羽根物『演歌道』のシマでのこと。



この西日という点、昔のパチ屋は窓があるパチ屋が多くて太陽の光が店内に入ってくることがよくあった。加古川の明姫幹線沿いに存在していたタイガー店にてエキサイトを打っていた時には、南側の窓から入ってくる太陽光がエキサイトのシマに充満している煙草の煙と店内の埃とが混じり合い漂っていた光景を覚えている。




他に記憶に残っているのは、そのパチ屋にて、私は誰も打っていない5台程設置されている羽根物『演歌道』を打とうとしていた。


後ろに何の機種が設置されていたのかはわからないが、そこに乙さんが二人程いたような気がする。


初めにこの演歌道があるシマの奥の端にある両替機にて千円札を百円玉に両替したと記憶する。


演歌道の一台に着席して、その両替した百円玉を天板に並べてから、その内1枚だけを台間サンドへと投入し、上皿に出て来た銀玉にて打ち始める。


この頃にはいつも百円玉1枚だけの投入で羽根物を打っていた。何故なら百円玉1枚で大当たりすることがよくあったから。


そして演歌道を打ち始める。


すると、即鳴き1開閉目の羽根が拾った銀玉がVゾーンへと直接ノーバウンドで飛び込んだ。


大昔の羽根物ではこんな事はよくあること。だから百円玉一枚ずつ投入するようになったんだな。


しかも、その後も速攻にて大当たりが続いての4000個完全終了させたというのを鮮明に記憶している。


そこまでの記憶は間違いない。


しかし、それがどこの◯ニャコ店での出来事だったのかを忘れてしまっていて、今でも思い出せない。それが正しいのか、それとも他のパチ屋と勘違いしているのか自信がない。



◯ニャコ加古川店






記憶は薄れていく。完全に忘れ去ってしまったことも多くあるのだろう。それが何かの拍子に突如として思い出されることもある。



そんなときには少しだけ嬉しくなることもあるし、逆に悲しくなることもある。苦しくなることもある。


だから何なんや。ニヤニヤ


まあ、私だけが知る大昔の思い出の出来事をこのブログに書き残せたらそれでええ。それだけのことや。



ここに書けんことも多くあるけど、それは私の心の中だけにしまっておく。そんなのに限って絶対忘れんしね。


ƪ(˘ω˘)y━・~~~



お終い。