1992年パチスロ4号機開始。
2004年7月4号機から5号機への移行決定
2005年7月5号機開始
2007年9月4号機完全消滅
2018年2月6号機開始
2022年2月5号機完全消滅
2022年11月スマスロ開始



待望のスマスロ北斗の拳登場。


そのブログを前に書いたが、そう言えばパチスロ北斗の拳についてまだブログに書いていなかったことに気づいた。


なので、パチスロ北斗の拳について記憶のある間に書いておこうかと思う。



(´ω`)y━・~~




【初代北斗の拳】


2003年10月登場
4号機



約62万台の販売記録をもつパチスロ初代北斗の拳。


バトルボーナスというケンシロウとラオウのバトルによりケンシロウが勝利し続けたならそのバトルボーナスは終わらないという何とも打ち手の心を煽るパチスロであった。


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どこのパチ屋にも設置されていた初代北斗の拳だった。あちこちのパチ屋で打った。その中でよく打った記憶があるのは姫路べセル店。


この姫路べセル店というパチスロ専門店。TVでパチスロ番組のスポンサーをしていたのを覚えている。


パチスロの実践形式の放送をしてたかと記憶する。この番組は関西のサンテレビの深夜に放送していて毎週の放送を楽しみに観てたのを思い出す。


このべセル姫路店は大昔の典型的小規模パチ屋だった。そんなテレビ番組を放送出来るほどに儲けていたのかは知らない。その昔の全盛期の8店舗全てが疾うの昔に潰れている。


そのパチスロ専門店べセル店は2005年にオープンしたが、それよりもっと昔にはそこに100万$という大昔有りがちな屋号のパチ屋が存在していた。


その100万$というパチ屋に1993年頃だったか二度三度と入ってみたことがあった。いつもその中に客は一人たりともいなかった。


その後にオープンした三益球殿という聞きなれないパチ屋があったようだが、このパチ屋は全く記憶にない。まるで大昔からタイムスリップしたようなその屋号には何故か笑える。しかし、こんなパチ屋あったかいな。


三益球殿が潰れたのが2005年らしい。その後にオープンしたのが、建物は大昔から多分そのまんまでオープンしたパチスロ専門店のべセル店であった。


姫路べセル店は2005年11月にグランドオープンした。


姫路べセル店


この画像はべセル店が潰れた後にオープンしたパチ屋が潰れた後に出来たパチ屋が潰れた後の(何軒も潰れたからもうわからんわ)廃墟と化した建物。


このべセル店での初代北斗の拳は建物の西側の端(画像の右側奥辺り)二階建て風に演出して、北斗の拳を別格に扱っていた。


壁際に数十台設置していたかと思う。その二階風な所から後ろを振り返ると全シマが見渡せていた。


真っ暗な北斗のシマで時間を忘れて打ち込んでいた。


白オーラでさえ爆連して木製ドル箱にいっぱい出て喜んでいた。その逆で赤オーラで単発とか、まあ色々楽しめた北斗の拳であった。


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思い返せば、あちこちのパチ屋やパチスロ専門店で打った初代北斗の拳。


その一つとして、大して出ることがなかったが、特に印象に残っている裏モノパチスロ専門店である姫路サルーンにて何度か初代北斗の拳を打ったことがあった。


北斗は裏返ってなかったと思う。


姫路サルーン店



その話はいつか別の機会に。

忘れんうちに書かんとあかんなあ。


(´ω`)y━・~~




初代北斗の拳。


ラオウ昇天も何回か経験したし、単発なんてのは数知れず。楽しめる点が山盛りの北斗の拳であった。


そして4号機末期となり、時代は5号機へと移行しようとしていた。パチスロ北斗の拳も移り変わっていく。


初代北斗の拳から北斗の拳SEへ。


【北斗の拳SE】


2006年7月登場
4号機


機械割
設定1 : 96.3%
設定2 : 99.2%
設定3 : 101.8%
設定4 : 103.7%
設定5 : 105.6%
設定6 : 108.5%



パチスロ史上第2位の売上34万台を記録。


機械割も低く劣化した北斗の拳であるし、酷評された北斗の拳SEだった。しかし、私にとっては初代が撤去された後にも北斗の拳を打てたので有難かった。


しかも私的には初代に勝るとも劣らない程によく連チャンしてくれた。特にこの姫路べセル店ではドル箱山積みも何度かある程に楽しめたSEであった。


ただ何故なのか、他のパチ屋でSEを打った記憶が失せている。


残念ながらこの姫路べセル店は4号機が2007年9月4号機完全消滅してから半年後の2008年3月に潰れたらしい。



そして時代は5号機へ。



5号機北斗は書くのを途中でヤメた。



( ͡° ͜ʖ ͡°)




お終い。