【フィーバーフラッシュ】
1990年登場
メーカー三共
ドラム式パチンコ
大昔、兵庫県加古川市国道2号線沿い一級河川加古川からすぐそばの所に存在していたアイセン米田店というパチ屋。
これはアイセン店から2005年にガイアと店名を変更し見た目だけはキレイにリニューアルされた店舗の画像。
パチ屋アイセン米田店は大昔の1980年代後半に誕生したと思うが、その当時の私はパチンコに全く興味がなかったので正確なところはわからない。
1990年頃にはどこのパチ屋にも三共のドラム式フィーバー機が設置されていた。このフィーバーフラッシュもあちこちのパチ屋で置かれていたとは思うが、記憶にあるのはこのアイセン店だけしかない。
そのアイセン店にて、忘れられないことが一つだけあったんで、以前にもブログに書いているが再度書いておこうと思う。
ドラム式フィーバー機ばかりがこのパチ屋のカウンター前のセンターに二シマ程80台程が並んでいたと思う。
このアイセン店には、どこのシマにもほとんど客は誰も座っていなかったので、誰が打っているのかは即わかった。そんなところは今現在のパチ屋の4円の状態と変わらん客入りということか。
そんなアイセン店でのある日のこと。
私はフィーバー機のあるシマを彷徨いていた。隣シマからフィーバーフラッシュのシマへと入っていった。相変わらず客がいないガラガラ状態の中をどの台を打とうかと探していた。
その時、他に誰もいない中をポツンと一人だけでフィーバーフラッシュを打っている人がいた。
近づいていくと、それはとてもよく知っている女の人だった。
その偶然見かけた女の人は、その当時住んでいた家のお隣の家の娘さんであった。
その女の人は私より二つ三つ程年上だったと思う。高校生位まではとても可愛らしくて、キャンディーズのスーちゃんに少し似た顔をしていて、子供にしては色気もあったように記憶している。
【キャンディーズ】
左からランちゃんスーちゃんミキちゃん。
左側のランちゃんが一番の美人で人気もあったかな。現在は誰もがご存知の相棒水谷豊氏の奥様である。
その偶然フィーバーフラッシュを打っているところで出会った女の人はスーちゃんに似ていたが、その人には妹がいてその妹はランちゃんに似ていたという美人姉妹であった。
私はキャンディーズの三人の中では少しだけポッチャリのスーちゃんが好きでした。
そのお隣に住んでいたフィーバーフラッシュ打ちの女の人はスーちゃんに似ていたんで、幼い頃から子供心にこの隣人の女の子が気になってはいましたね。
そのパチ屋で偶然会った時には少しだけ話をしたと思う。話の内容はただの世間話程度だったのだろう。完全に忘れて何も覚えていない。
高校生までの可愛らしさから大人になり、ナースになってたんだったかな。その激務からなのかわからないがかなり見た目が劣化してしまっていたのをとても残念に思ったのを憶えている。
このパチ屋アイセン店はその当時住んでた家からそう遠くはなかったので、そのように近所の人や親戚の人や顔見知りに出会うことがとても多かった。
(´ω`)y━・~~
フィーバーフラッシュ
大昔のドラム式パチンコ機はどれもシンプルもシンプル。このフィーバーフラッシュもシンプルでスーパーリーチなんてモノはなかったはず。
ただドラムが高速で回転して急に停止していたと思う。今のパチンコとは大違い。しかし、そんなシンプルなのもいい。
この当時のパチンコのフィーバー機もデジパチ機も大当たり確率とか出玉がどれ程あるのかとかそんなに理解はしていなかったと思う。
ただ解ってたのは、同じ図柄が並んだなら大当たりとなり、銀玉がジャラジャラと流れ出てきてドル箱一杯になるまで出続けるということ。その程度だったかと思う。
この頃の私はシンプルなパチンコ機をシンプルに楽しんでいたんだなと思う。
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大昔から存在していたアイセン米田店。
その後、店名をガイアと変更し、2005年頃にリニューアルして見た目はキレイになったが中身はもうボロボロだったと思う。
思い出深いこの地にあったパチ屋は2018年5月に閉店となり、更地となった。
今では有名どころの車屋が何事もなかったよくに日々賑やかに営業を続けている。
栄枯盛衰
お終い。