大昔の思い出話。



今から50年程前のこと。


毎年冬になると家族で兵庫県の神鍋スキー場へとスキーに行くことがよくあった。


大昔は神鍋スキー場としか言わなかったが、今ではアップ神鍋と奥神鍋という名前であるようだ。私が幼き頃に行っていたスキー場は多分アップ神鍋の方だと思う。




この神鍋スキー場は兵庫県内にあり、車で数時間で到着出来るほどで、そんなに遠くはなかった。


それなのに何故なのか泊まりで行くこともあったと記憶する。親父が早朝から滑るために泊まりで行ったんだと思う。多分。


その泊まる宿というのは親父が若き頃からお世話になっていた所だったんだろうなと大人になってから思い返す。


そこは旅館ではなかったし、ペンションというハイカラなものでもなかった。ただただ普通の民家のような建物だったので民宿だったのだろうと思う。


そんな雪国は極寒の世界。そんな寒い所ではあるが、今現在では当然使われているエアコンなんてのは全くなかった。暖房といえばストーブか掘りごたつだけ。寝るときには分厚い重い布団のみだったかと思う。



記憶に残っているのは、夜中に到着してこたつで一晩を寝て過ごした記憶があるが、それが正しいのかは自信がない。



そんな雪国の家というのは独特の匂いがあった。親父の生まれ故郷の雪国の家も同じ匂いがしてたと思う。


それは掘りごたつや七輪の煉炭や炭の匂いだったのか、古い建物の匂いだったのか、確かなことはわからないが、その独特の匂いを私は嫌いではなかった。



その神鍋スキー場周辺は雪が背丈ほどに積もっていた。その雪をとても喜んでいた幼き子供の頃の私と弟はその民宿の玄関先に子供二人が中に入れる程のかまくらを作ったのを覚えている。



手袋をしていたが、その手袋が濡れて手が悴んでいたのに、そんなことよりもかまくらを完成することに必死になっていた。


完成したかまくらの中に入って喜んでいたのを覚えている。記念写真を撮ったような気もするが、その写真は残っているのかね。



肝心のスキーの話だが、そんな時代にはまだスノボーなんてなかったかと思う。スノボーという言葉さえ全くなかった?と思う。誰もがスキーをするために雪山へと行くのだった。幼き頃はソリで遊んでいたこともあったと記憶している。


私の親父はとても運動神経が良くて、雪国生まれでもあり、スキーの回転競技に参加したこともある程に上手かった。



下手くそな私が恐る恐るスキーを滑っている横を後ろ向きに軽快に滑っている親父を(何で後ろ向きで滑れるんやカッコええなあ)っていつも羨ましく思っていた。


運動音痴な母親までが自前のスキー用具一式を購入して神鍋まで滑りに行ってた程のスキー愛好一家であった。が、母親が上手く滑っていたのを見た記憶は全くない。(笑)


それから後には私もある程度スキーを滑れるようにはなり、自前のスキーセットを持参して行くようにもなったが、相変わらず下手くそには違いなかった。母親似だからかもしれないな。


そんな神鍋スキー場のロッジの食堂での昼メシも楽しみの一つであった。私は大概カレーを食っていたと思う。スキーをしていたらかなり体力を使うし腹が減るからなのかカレーがめちゃ美味かったんやなあ。


雪国には当たり前にあったストーブが、そのロッジにもとても大きなのが置いてあって、そのストーブのそばに手袋や服なんかを乾かしていた。



そんな臭くなりそうな匂いやら、煉炭や炭なんかの雪国独特の匂いやらがロッジの室内に匂いが充満していたと記憶する。そんなのも私は嫌いではなかった。寧ろ好きやったな。


いつの頃なのかは記憶にないが、その食堂の自家製漬物のたくあんをよく食べていたのを記憶している。


その自家製たくあんはロッジのオーナーと親父が大昔からの知り合いだったようで、持ち帰り用のたくあんを頂戴したのか買っていたのかは忘れたが、帰宅してからもそのたくあんを食べていたのを記憶している。



それから後、私は小学生高学年から中学生、高校生までは野球ばかりしていたので、スキーに行くことは全くなくなった。


けれど、高校生の修学旅行で信州のスキー場へと行ったときには、そんな子供の頃のおかげである程度は滑れてたんで楽しんでいたのは記憶に残っている。


(´ω`)y━・~~



いつかまたあのスキー場のロッジのカレーとたくあんを食いたいねぇ。

しかし、足腰の弱った今の私では自力で行くことは不可能なのは間違いない。


しかもそんな大昔のロッジはもう存在しないだろう。

スキーは出来ないのは当然ながら、もう二度と思い出深き神鍋スキー場へ行くこともないだろうな。春の神鍋なら行けるかね。


大昔の思い出。

まだ何かあるかな。



お終い。