読んでいただきありがとうございます。



2回目の流産の当日からのお話をします。

前回に引き続き、生々しい表現が多々あります。
私のまとまりのない率直な気持ちも
たくさん書かせていただいています。
人によっては不安な気持ちにさせてしまったり
辛い出来事を思い返させてしまうかもしれません。

読者さまの心を大切にしていただきたいので
読んでいただける方だけよろしくお願いします。🙇‍♂️









旦那の親戚の法事当日の朝、
旦那は車で義実家へ行くことになっていました。
我が子と私も一緒に車に乗って
途中にある私の実家でおろしてもらいました。

帰りは14時頃、
法事が終わり次第
私の実家に迎えにきてくれるとのことでした。




実家に到着すると
全て事情を知ってくれているので
私の父と母が我が子のお世話をしてくれました。
私の顔色があまりにも悪いので
少しでも休めるようにと
公園にも連れ出してくれました。
母が作ってくれた昼食は私の体を気遣って
温かくて鉄分の多いメニューばかりで、
これにも涙が出ました。

この時点での出血量は
介護用で使用する大きなパットが
ほぼ全面赤く染まるくらいの量でした。
漏れないように私はこの上に
リハビリパンツを重ねばきしていました。




午後になり、
私の体調はどんどん悪化していきました。
腹痛と腰痛が強くて座っているのが辛かったです。




お迎え予定の14時を過ぎても
旦那から何の連絡もありませんでした。
法事の進行が遅れていたり
道が混んでいるのかもしれないと思い
15時過ぎまで連絡を待っていましたが、
一向に連絡がないので
私から
〝大丈夫?何かあったのかな?〟と
旦那にLINEを送りました。

するとその約30分後に旦那から
〝今終わった!これから迎えに行く!〟と
LINEが返って来ました。


何らかの事情でお迎えが予定時刻を
過ぎてしまうこともあると思います。
そこに関して私も私の両親も
腹を立てることなどありませんが、
予定が変わったのなら
その時点で一言でいいから連絡が欲しかったです。
私の両親は
旦那が道中で事故にでもあったのではないかと
心配していました。
私は自分の体のことで精一杯でしたが
一体何時まで待てばいいのかと
見通しがつかず不安でした。



結局旦那が迎えに来てくれたのは
当初のお迎え予定時刻を3時間も過ぎた
17時過ぎでした。
帰り道、
こんなにもお迎えが遅れた理由を聞くと
法事のあと、急遽義両親の提案で
旦那の祖母が入所している老人ホームへ
遊びに行って来たとのことでした。

旦那の祖母の面会に行くことに関しては
旦那の自由ですが、
今の状況(自然排出しかけてる嫁を待たせてる)を
考えて欲しかったし、
途中で予定を変更するなら
せめて一言連絡して欲しかったです。

今回に限らず
旦那は日頃から時間にルーズでした。
当然、約束を守ってもらえないことは
気分良くないので都度伝えていますが
言い訳ばかりで改善しません。
私との約束は100歩譲って許しても、
今回のように私の両親など他の人たちにも
迷惑をかけてしまうのが特に嫌でした。

厚かましいことを言いたくはありませんが、
仮にも私の両親に
法事を理由に自然排出しかけている嫁と子どもを
頼んで預けているのだから。
お願いする側も受ける側もお互いに気持ちよく
お願いします。わかりました。
ありがとう。どういたしまして。
と言い合えるようにしたいというのが私の考えです。
私の両親もあまり口には出しませんが、
旦那が時間にルーズなことは実感しているはずです。





自宅に到着し、
あれこれ片付けをして
我が子の寝かしつけを終えると
リビングから旦那のいびきが聞こえました。
お得意のビールを飲みながらの
ソファーで寝落ちです。

私も疲れ果てていたので
そのまま旦那を放置して布団に入りました。




痛みで眠れずトイレに行くと相変わらず
トイレの底にどろりとした濃い血が溜まります。
もう何回目だろう。
もう何cc出したんだろう。
悲しくて虚しい。

トイレから戻るといびきをかいて寝ている
旦那が目につきました。
むかつく。
なに呑気に寝てんだよ。
代われよ。

この辺りからお腹と腰の痛みがさらに増し、
自然排出が初めての私でも
〝来たな、もうそろそろだな。〟と
直感でわかりました。

痛みで立っているのもやっとでしたが
我が子を出産する際、
陣痛が強まった時に助産師さんが
お腹や腰に湯たんぽを当てるといいと
教えてくれたのを思い出し
最後の力を振り絞って湯たんぽを作りました。





必死に湯たんぽを抱えて布団まで行き、
隣で寝ている我が子を起こさないように
声を押し殺して
(堪えきれず少し漏れてましたが。)
ひたすら痛みに耐えました。

私の場合、陣痛の時とは違いましたが
痛みに多少の波があったように思います。
痛みがほんの少し引いたタイミングで、
這いつくばってトイレに行きました。
とにかく痛すぎて便座で座位を保てず、
便座にしがみついたり
床にうなだれたりしながら
ただひたすら痛みに耐えました。

正確ではありませんが
トイレにこもってから1時間半ほどは
経っていたと思います。
今までとは明らかに違う、
大量の血液がおまたから流れ出るような感覚があり
ついに自然排出しました。

介護用で使う大きなパットをして
その上からリハビリパンツを履いていたので
かなりの吸水量があるのですが、
そのリハビリパンツからも溢れ出しそうな程の
大大大出血が起こった感覚でした。
(実際にはパット内にギリおさまる量でした。)

自然排出後もしばらく痛みが続いていましたが
お腹に来てくれた赤ちゃんを見たくて
早く会いたくて
すぐにパットを確認しました。
大量の血液の中に
赤ちゃんの袋がありました。
自然排出する瞬間、
トイレに落とさないようにと
必死にキャッチした時は
もう少し大きく重たく感じましたが、
手のひらにすっぽりおさまる程のサイズでした。

パットを胸にぎゅっと抱きしめて、
ちゃんと産んであげられなくてごめんね。
それなのに私の所に来てくれてありがとう。
短い間だったけど
あなたと一緒に過ごせてとても幸せだったよ。
幸せな気持ちにしてくれてありがとう。
大好きだよ。
ママは待ってるから
またいつでも戻って来てね。
本当に本当にありがとう。
と、伝えました。






大量の血液で染まった重たいパットが
冷たくなっても
沢山抱きしめ沢山泣きました。

トイレから出てリビングに戻ると
外はうっすらと明るくなっていました。
布団に戻ろうとすると
旦那が眠そうな様子で起きて来て、
無言で腰をさすられました。
ものすごく不快でしたが、
一応自然排出したことを伝えました。
旦那も赤ちゃんの袋を見たいと言うので、
パットを見せました。
私はサーっと血の気が引くような感覚と
寒気を感じたので布団に横になりました。
旦那もまたすぐ寝たようです。

こんなに
痛かったのに、頑張ったのに、辛かったのに
旦那は何も言ってくれないんだ。
嫁の流産直後なのに
よくそんないびきかいて眠れるな。
何よりも睡眠欲なのね。
自分が最優先、自分が1番大事なのね。
何があっても自分を崩さないんだね。

そんなことを思いながら
いつの間にか気を失っていました。






自然排出後も1週間程度は出血が続きました。
量は生理の多い時くらいで、
日が経つにつれて徐々に減って行きました。
腹痛と腰痛も出血量に比例するようにして
徐々におさまりました。
私の場合、
自然排出の翌日と翌々日は
眠れないくらいの痛みがありました。
家の中を歩くだけでも精一杯で
とても外出はできませんでした。



自然排出した翌日、
まだ夜用生理ナプキンでは
おさまらないくらいの出血量があったので
旦那に仕事の帰りに
介護用のパットとリハビリパンツを
追加で買って来てもらうよう頼みました。
が、
帰って来た旦那に聞くと
〝あ、忘れた。〟と。
本当に他人事なんだなと思い悲しくなりました。
痛みも代わってもらえないんだから
必要な物くらい忘れずに買って来てよ、と
怒りも覚えました。



その日の夜も私が
〝今日はお腹痛くならないといいな。
朝まで眠れるといいな。〟と言うと、
〝はぁー。〟と、
めんどくさそうにため息をつかれました。
連日夜中に
私がトイレと布団を行き来しているのを
迷惑だと思っているのでしょうか。
お酒を飲みながらソファーで寝落ちしている身で
1人痛みに耐えている私に…?
流産のショックと旦那への不満、
いつ終わるかわからない痛みに耐える日々で
当時の私は冷静に思考することや
正常な判断はできなくなっていたと思います。

〝おやすみ〟も〝身体大丈夫?〟の一言もなく
旦那は早々にいびきをかいて寝ていました。
私が夜中に腹痛で目を覚ましトイレに行っても
気付かずソファーでいびきをかいて寝ていました。
私からすると
旦那の態度はあからさまに
〝連日寝不足でしんどい〟と
言われているように感じました。
私だってもうお前に期待してねーし
頼りにもしてねーよ、という気持ちでした。





自然排出してから2日間は
まだ強い腹痛と貧血のような症状があったため
我が子と2人で家の中で過ごしました。
我が子には申し訳ない気持ちでしたが
無理に外出して私が倒れてしまったら、
それこそ我が子に
迷惑をかけてしまうと思っての判断でした。
〝ママが元気になったら一緒に公園行こうね。〟
と言うと、
〝行こうねー!〟
と文句も言わず受け入れてくれました。

大好きなお外に連れ出してあげられなければ
一緒に動き回って遊んでもあげられないし…
我が子にもストレスを与えてしまうかなと
不安に思っていましたが、
お家の中で穏やかに過ごしてくれました。

自然排出後の数日間は異常に疲れやすく、
我が子のお昼寝のタイミングで
私も気を失うようにして
1時間弱お昼寝していました。
外に連れ出してあげられていない分、
我が子の体力が余っていてお昼寝しないときは
気を失っている私の隣で寄り添うように
静かに遊んで待っていてくれたこともありました。
我が子も幼いながらに
何か感じ取ってくれていたのかもしれません。
我が子にもありがとうの気持ちでいっぱいです。

旦那は相変わらずで
夜私が腹痛でトイレに行っても
心配して声をかけてくれることもなければ
布団からも出て来ません。(起きてるくせに。🔪)
以前から苦手なことや都合の悪いことからは
目を背けたり逃げようとするところがありました。








自然排出から1週間後
産婦人科に検診に行きました。

土曜日だったせいか待合室にはいつもより
沢山の妊婦さんとその旦那さんの姿がありました。
覚悟してはいましたが、
やはり幸せそうにエコー写真を眺めたり
大きな声で赤ちゃんの話が聞こえてくる環境は
辛かったです。



そんなことを感じながら
落ち着こうと深呼吸をして待っていると
生まれて間もない赤ちゃんを抱いた女性が
受付で指示を受けていました。


受付の人
〝検査のために赤ちゃんはそこのベッドに寝かせて
お母さん(女性のこと)は椅子に座って
このジュースを飲んでください。〟


たまたま私が座っていた椅子が
受付の目の前だったので
(この日は混んでいてここしか空いてなかった。)
指示の内容がよく聞こえてしまいました。

運が悪いことに
受付の人が指示した赤ちゃん用のベッドは
私の座っていた椅子の真横にありました。
そして女性が元々座っていた椅子と
赤ちゃんを寝かせるベッドは少し離れていて、
女性は赤ちゃんをベッドに寝かせるのを
躊躇っている様子でした。

私は女性に
〝席を代わりましょうか?〟と声をかけました。

この状況で私が席を譲らないという選択肢は
ないと思いました…
女性はチラッと私の顔を見ましたが、
何も言わずその場に立っていました。
それを見ていた受付の人がフォローに来て、
私に〝そうしてもらってもいいですか?〟
と言いました。

すると女性は
無言で赤ちゃんをベッドに寝かせ
私が譲った椅子に座りました。



えっ、なんなのこの人…
席を譲ってもらったんだから
〝ありがとうございます〟とか
〝すみません〟とか
一言くらい言ってもいいんじゃないの?と
不快に思いました。


つくづく最悪な気分でした。
赤ちゃん用のベッドの隣しか椅子が空いてなくて
私がそこに座ったからじゃんって言われれば
たしかにそうなんですが、タイミング悪すぎて。
私も順調な妊婦さんになれてたら
こんなちっちゃな事を気にしたりしないのに…
2回続けて流産して
生まれたての赤ちゃんや幸せそうなお母さんを
見るだけでも嫌なのに、と悲しくて悔しくて…
私としてはもう十分嫌な思いをしたはずなのに
最後の最後に追い討ちをかけられた気持ちで、
産婦人科という場所が心底嫌いになりました。







泣きそうになるのを堪えていると
やっと名前を呼ばれ、
逃げるように診察室に入りました。



前回の流産の時と同様に採血をして
数値を確認しましょうと言われました。

先生からは、
3回流産が続いたら検査を勧めるというのが
一般的であること。
その時は紹介状を書いてあげるね、と。
少し前までは流産?不育症?
(記憶が曖昧でごめんなさい🙇‍♂️)
の治療としてアスピリンという
血が固まりやすい人に処方する薬を出していたが
現在は効果に科学的根拠がほぼ無いらしく、
安静に過ごすのが1番とされていること。
先生の私的意見としては、
1〜2ヶ月お休みして
基礎体温等もはからず過ごしてから
また再度チャレンジするのが良いと思う、と。
生理が1回来たらチャレンジしていいよ。
とのお話をしていただきました。



一度待合室に戻り、再度別室に呼ばれました。
担当してくれた看護師さんに
採血で気分が悪くなったことはある?
と聞かれたので
〝今既に気持ち悪いです。〟と答えました。
すると、
ベッドで横になって採血してくれるとのことで
病棟のベッドのある部屋へ移動しました。

担当してくれた看護師さんは私の腕を見て
〝血管ほっそいな〜。
内出血になると思う。
左腕で荷物持たないようにしてね。〟
と言いました。
採血しにくい血管で申し訳ないですが
なんだか感じ悪くて嫌でした。
でも、
この採決が終われば帰れる…!
この空間から逃れられる…!
と言い聞かせて耐えました。



そんなことをしていると
隣のベッドに別の患者さんが来たようで
カーテン越しに会話が聞こえてきました。
どうやらNSTをしているようでした。
(赤ちゃんの元気さやお母さんのお腹の張り具合
などを調べる検査のこと。)

順調そう(多分)な妊婦さんと流産した私。
薄いカーテン1枚で仕切られる天国と地獄。
嫌でも聞こえてくる胎児の心拍の音。
大袈裟に聞こえると思いますが、
当時の私には正に地獄のような時間でした。
誰も悪く無い、誰のせいでも無い。
そんなことわかっています。
百も承知です。
待合室で席を譲った件も
隣でNSTが始まった件も
ただただその状況が耐え難かった。
豆腐メンタルの私にとっては
生き地獄のようで苦しかったのです。



採決が終わり、看護師さんには
〝しばらくベッドで休んでていいよ。〟
と言われましたが
ここでも逃げるようにして待合室に戻りました。
ここに私が安心して居られる場所はない。
1秒でも早く外に出たい!と思いました。



その後の記憶はあまりありません。
お会計を済ませてから旦那と我が子が待つ車に戻り
帰宅したんだと思います。
そしてそのまた1週間後に
採決結果と診察のために産婦人科に行きました。
数値も落ち着いており、
エコーで子宮が元の状態に戻っていることも
確認してもらいました。
出血もほとんどおさまっていたので
この日をもって自然排出完了、
産婦人科の検診も終了となりました。






本日も最後まで読んでくださり
ありがとうございました。

2回目の流産の後、
色々な事でキャパオーバーになり
1年以上ぶりの更新になってしまいました。🙇‍♂️
今日の記事は1年前に下書き保存してあったものを
そのまま投稿しています。
久しぶりに当時残していたメモを見て
こんなことあったなぁ
こんな気持ちだったなぁ
このことまだ記事にしてないなぁ
など、思うことがたくさんありました。

この1年ちょっとのことも
(義両親ネタ大豊作←)
少しずつ記事にしていきたいなと思っています。
まだ需要かるかなぁ…?💦