第三回十字軍時にシリアのアッコンで結成 されたドイツ騎士団は、その後東方植民でバルト海沿岸のプロイセン地方に入植し、ケーニヒスベルクを中心とする騎士団領を建設した。1525年にルター派に改宗した世俗のプロイセン公国となり、1618年にはブランデンブルク選帝候がプロイセン公を兼ね、ホーエンツォレルン家の下で同君連合を形成した。スペイン継承戦争では神聖ローマ皇帝を援助し、1701年、フリードリヒ2世が王号を許されてプロイセン王国となった。18世紀半ば、フリードリヒ2世は近代化を推進するとともに、オーストリア継承戦争やポーランド分割で領土を拡大し、地歩を固めた。フランス革命が起こると、フリードリヒ=ウ゛ィルヘルム2世は皇帝レオポルト2世とともにピルニッツ宣言を発し開戦のきっかけをつくったが、1795年にはフランスと単独講和を結んだ。フランスにナポレオンが登場し、1805年のアウステルリッツの戦いでオーストリアを屈状させ、翌年、