学校教育に疑問を感じざるを得ない。


特に小学校教育。



小学校1年生から

〇〇さん。と呼び合う子どもたち。


男児女児関係なく

〇〇さん。


あだ名も禁じられ

呼び方も統一された中、


友達関係を構築する歪な環境に感じてならない。



ジェンダーフリーの観点から

〇〇くん、〇〇さんの廃止


あだ名でいじめがあるから

あだ名のある子ない子の不平等から

あだ名で呼ぶことを禁止。



社会に出ると誰でも〇〇さんと呼ぶようになる。

ジェンダーフリーの観点から誰にでも〇〇さんと呼ぶことには大きく反対はしない。


しかし、

あだ名禁止に関しては、論点がすり替えられている。

教育の放棄だ。


詳しく述べよう。


あだ名を禁止にしている主な理由は、

いじめに繋がるからである。

不適切なあだ名を付けるから禁止すると判断していることが多い。

では、小学生の子どもたちにあだ名を禁止して学ぶことは何なのだろうか?

そこから得られる教育的効果は何なのだろうか?

あだ名を禁止されたことによって得られるものは、

あだ名はダメなことであるという認識だけだ。



不適切なあだ名がダメで

適切なあだ名は良い。

この判断が出来るようにすることが

教育ではないでしょうか?


ものの善悪、行動の良し悪しを判断出来るようにすることこそ、教育の大切な目的の1つではないでしょうか?それを禁止にすると判断そのものをやめ思考停止に陥ってしまう。


いじめに繋がるあだ名、相手のことを考えないあだ名

それがだめなのであって

あだ名すべてがダメなのではない。

その判断を相手の立場になって

言われたら嫌かな?

どんな気持ちになるかな?

相手は嫌がっているかな?


その慮る気持ち。

思いやる気持ちを育むことこそ

大切な教育でしょう。



あだ名を、禁じることで

大切な教育の機会を潰していることになる。


これは

教育界の怠慢である。