行き過ぎた個人主義が様々な弊害をもたらしている。



前の投稿では

選択的夫婦別姓について述べた。



今回は、高校生の制服自由化について。


制服一律強制は自由がない。

多様性があって個性を育む。


だから、制服は自由がいい

着たい人は制服を着て

私服の人は私服を着て

選べる方がいい。



これもまた、議論の論点がズレている気がします。



制服は、多様性や自由を奪っているのでしょうか?

では、制服のある職業は人権侵害になりますよね。



学びの場、教育の場は多様性を求めて制服を自由化しその先の社会では当たり前の様に制服を着て仕事をする。じゃあ個性って、多様性って何?。



そもそも、制服は何の為にあるのでしょうか?


例えば軍隊の軍服は、一般人と区別し、かつ目立たないように擬態の効果もある。

スーパーの従業員が来ている制服は、お客様との区別の為にある。

私はそう考えています。

もちろん、そこから生まれる連帯感や同一の組織に属している帰属意識などもあります。



しかし、一番は区別するためです。



あなたは高校生である。

どこどこ高校の生徒であると周りの人達から区別しているのである。

特に、中学生、高校生は地域の方々と一体となって教育をしなければならない。

その為に地域の方々にも中学生や高校生と一目で分かってもらえる必要がある。


私が高校生のとき、最寄り駅についても居眠りしていた私を見ず知らずのサラリーマンが起こしてくれた。

制服を着ていなければ絶対に有り得ない。

私服ならその子がどこ行くのかさえも分からない。



プライベートの中学生や高校生と

通学している生徒の区別を明確にする必要があるから制服を着ているのだ。



その区別が必要ではないなら

制服自由化を進めるべきだが

多様性や自由を求めるならば目的と手段が一致していない。


ひとつ誤解なきように、

女子生徒のズボン、男子生徒のスカート

これは、自由に選べるべきだろう。

トランスジェンダーの方々が自由に制服を選ぶ権利はある。



しかし、私服と制服を自由に選べる。

これを多様性や個性と捉えて進めるのは反対だ。