ゆっくりと過ぎていく

時の流れ


通り過ぎると
あっという間。


もうすぐ、社会に出て10年近くになろうとしています。大学を卒業してすぐ私立高校の教員として働き6年間務めた。
その後、放課後デイサービスという、障がいのある子供達の療育を行う施設で児童指導員として3年近く働いている。

気付けば大学のアルバイトから
ずっと子どもたちに接する仕事をしています。

スイミングスクールのコーチというアルバイトから始まり、現在まで。

成長を後押しし、ともに喜べる
この感覚が本当に幸せで

誰かの成長をと言うことを考え始めたのは
高校生のときからである。

思い返せば
高校3年生の春、
心房細動という病気になり
除細動器(電気ショック)で通常の心拍に戻すという経験をしました。
特に運動制限などは無かったのですが
当時の野球部の監督が現役の選手としてグランドに立つことは諦めろと言われました。
確かに、グランドで倒れたらどれほどチームに迷惑をかけるか、、、。
そして、3日考え裏方の仕事をすることにしました。
血のにじむ努力を重ね最後の1年、いや半年にかける想いが強かったのですが、裏方にまわりました。
その時、監督から学生コーチという仕事を任されました。これが私の運命を定めたのです。
学生コーチ、選手の成長を生徒として助ける仕事。
本来は、大学の野球部に良くある仕事ですが、
高校生の頃から学生コーチとして成長を考えることとなりました。

そのまま、付属の大学へ
その大学の1年生から学生コーチとして野球部に入部しました。

しかし、その年のゴールデンウィーク。
父が、うつ病となり
お金のかかる野球部を休部することとなり

アルバイトをして家計を助けることになりました。


ここから約1年近く廃人となるのです。
己が分からなくなり
自分とは何者なのかを自問する日々を送ります。

そして、ふと出会ったアルバイトが
スイミングスクールのコーチという仕事です。
はっきり言って
その当時、私は泳げません。
高校にプールはなく、中学校の水泳の授業までしか習っていないズブズブのド素人。
そんな私が、スイミング、4泳法を教えることとなります。

教えるということは、大学で教員免許の取得のための授業を受けたり、高校時代の学生コーチという仕事のときに監督からみっちり教えていただいており、ある程度想像できるのですが、なんせやって見せれない。

そんな時に
上司のかわいがってくださったコーチから
泳げないからこそ
教えられることがある。
泳げないからこそ
分かることがある。

と教わりました。

出来ないことは、マイナスではありません。

むしろ、出来ない人の気持ちが分かります。


私は、様々な経験をしてきました。
だからこそ
分かることがある。

だからこそ、私で居られるのです。

私の敬愛する亡き祖父から言われた言葉。
痛みを知ってこそ、人の痛みを分かることができる。
苦しい経験をしたからこそ、
本当にやさしくなれるんや。

おじいちゃんの言ってたこと。
今なら分かる気がする。


だからこそ
心からあなたの成長を喜べるのです。
真っ直ぐで不器用な世界で生きるあなたたちの
少しの成長が
私の生き甲斐であり、幸せです。


そして、その子達の未来に大きな影響をあたえるというとても重い重い責任を背負いながら
日々、試行錯誤を繰り返して


私も成長しなければなりません。