小学校教育について、疑問が多々ある。

仕事柄、小学校への出入りが毎日のようにある。

各小学校へ送迎に行くからだ。

複数の学校を直接見ている。


まず、服装、髪型、限りなく自由だ。
個性に溢れている。

しかし、中学、高校になると
皆、制服を着て、頭髪検査もある。


これは、教育として逆であらねばならないと思う。


私は、頭髪がどうの、服装がどうの
そこを問題にはしていない。
教育的観点から、まずは自由に個性的にしておいて
その後、皆と同じを求めるという教育方針がチグハグだと感じている。

まず、小学校において厳しく規律を守る大切さを教え、規律の中で個性を大切にすることを教え
他者を認め、違いを尊重しながらも調和できるような連帯感が必要だと感じた。

その後、中学、高校と自主性を重んじながら
個性を、磨く教育が必要だろう。


今の小学校は、とても自由で
児童の言葉遣いも、態度も大人を舐めている。

そこで緩んだ規律を中学、高校で締め付けることはとても難しい。
小学校では良かったのにとなる。

許されてきた環境から許されない環境にはなかなか適応できないが、
許されない環境から許される環境には、適応しやすい。また、生徒の自主性に重点を置ける。


全員そうだとは言わない。

もちろん小学生でもきっちりと挨拶をして
規律を重んじている子達も居る。

しかし、全体的な雰囲気として
大人を舐めているところがあり
規律は緩んでいる。


また、小学校に限らずだが、
小学校の頃の教育は特に心に残るので問題にしたいのが、日教組的な平和教育も根強く残っている。
憲法9条を守ることが何よりも大切だ。
太平洋戦争にて、日本はアジアを始め特に中国には酷いことをした。2度と過ちは繰り返してはならない。
日本は酷かったと刷り込みを行っている。

皆さん、小学校の頃の平和学習を覚えていますか?
私は、特に覚えています。
ハングル語で歌を歌い、先生が
朝鮮とは、朝が鮮やかと書きます。素晴らしいですね。日本は、そんな素晴らしい国々に対して
酷いことをしました。
日韓併合で植民地化して、日本語を話させ、
ハングル語を奪い、ハングルの名前を奪い、
そして、たくさんの人達を殺しました。
日本は酷かったのです。

と、授業で語っていました。
私は、しばらくそれを真に受け、日本は酷かった、日本はダメな国だと自虐史観に囚われました。

しかし、中学、高校と進むうちに自分で学び出すと、
事実と違う教育を受けたのだと知りました。

日韓併合は、朝鮮王朝からの申し入れがあり、国際的に認められて、国際法に則って併合しました。
また、朝鮮にインフラを整備し、共に繁栄できるように帝大まで創りました。
韓国は今もその頃のインフラを使って生活しています。朝鮮の方々とは戦争をしていません。
共に戦った戦友です。

中国の南京大虐殺はありませんでした。
まず、
死体がどこにあるのか分かっていません。
それだけの方々が亡くなっていたとしたら、どこかに大量の死体が埋設されているはずですが、ありません。また、その当時、世界のマスコミが中国に入っていましたが、どこも報じていません。
さらに、南京の街には日本軍が進駐してから人口が増えました。民衆は日本軍が来たことで治安が安定し、安心できると判断し南京に集まったのです。

東南アジアの国々では、日本軍は称賛されています。
欧米列強から植民地化されていた国々に同じアジアの日本が真正面から対抗し、立ち向かったのです。
その後、東南アジアの独立に日本軍が大きな影響を与えています。

もちろん、戦争てすから、
酷いこともありました。しかし、この様な、見方もあるのです。

そして、最後に、
当時の日本軍の兵士達は、悪者なのでしょうか。
全く違います。
まだ見ぬ、私達、日本国民の為に
命をかけて戦ってくださったのです。
1日でも長く、日本のために戦い、本土にいる女性、子ども達を守る為に戦ったのです。
そうして、命を繋げてこれたから、命が繋がったから私達がこうして、生きているのです。

生命をかけて戦うのには、理由があります。
意味があります。
戦争は、絶対にダメですが、
いざとなったら、戦うことを辞めてはなりません。
自ら、侵略的な戦争は絶対にしてはなりません。
しかし、侵略してきた相手には、徹底的に戦う必要があります。
当時の日本も、
存立を脅かされた為に、戦ったのです。


ただ、ただ、
戦争は酷い、日本は悪かった
もう2度と、繰り返してはならない。
そんな教育は、決して平和に繋がりません。
平和の為に戦うこともあるのです。
毅然と立ち向かうこともあるのです。
自虐史観を植え付けるだけの教育は、平和教育ではありません。

小学校教育、
見直すべきだ。