生きる上で一番大切なことってなんだろう。


大学を卒業してから
子どもと向き合う仕事を続けてきて
8年くらい。

時には厳しく叱り
時には励まし
共に喜び、共に成長しようと常に思っている。

職業柄、向き合う子ども達の
少し先の未来、
働くときの姿を想像しながら
指導や支援を行っている。

ここで大きな壁にぶち当たる。

私の想像する
その少し先の未来が
間違っていたら
間違った階段を登らせてしまうことになる。

この階段を登れば成長するよ
未来のためになるよ
働くときに必ず役に立つよ
君に必要な力だよ

そう信じて、その子が苦手な分野でも登れるように日々向き合っている。

しかし、その子の未来にとって必要のない成長なら
違うところを伸ばした方がいい。


その葛藤の毎日なのです。
どんな力を身に着けてもらおうか?
この子に必要な力は何か?
今必要な力は?
この先に必要になる力は?
今で来ていることをさらに伸ばすために必要な力は?
このような、未来予想を間違えたら、、、


今は教師ではなく、障害児の成長をお手伝いしているが、根本は変わらない。
その子の成長を信じて、
未来に必要な階段を登れるようにする。
そして、社会に出るまでに
できるだけたくさんの階段を登り
成長して、社会に送り出す。


そこで、常に頭によぎるのが
人間にとって、生きる上で一番大切なことって何だろう?ということだ。

なぜ、これを思うのか、
それは、普遍的正義とは何か?につながるからだ。


私達大人は、子どもに向き合うとき
何をベースにして指導、支援をするのか。
私個人の経験や知識をベースにし過ぎると
主観的教育になり私の思う人間を作ってしまう。
それは、私を踏み台にして高く飛び越えるような人間を作ることにならない。
私の想像する範囲でしか成長できなくなる。
なので、
あくまでも客観的にその子を捉えて、必要なことを的確に判断し伸びるようにする。
その中で、善悪の判断や、それは正しい、それは間違いと判断しながら叱ったり、褒めたりする。
その基準が個人的価値観になると間違えてしまうことが多いと自戒をこめて感じる。
では、個人的価値観に頼らない正義とは?
人生にとって普遍的に必要な能力とは?

この、問を追い求めなければならない。

例えば、社会に出るならば挨拶はできた方がいい。
しかし、知らない人に挨拶しないという防犯も存在する。
イヤイヤ、挨拶は、人間の基本だろ!
と言いたい気持ちは分かるのですが、
それが、個人的価値観に頼ってしまうと
挨拶の本当の価値を見いだせない。

挨拶は、当たり前にするものだ、
挨拶をすると、気持ちがいいから

皆さん、挨拶して気持ちよくなったことありますか?

これが、教育的綺麗事だと感じているのです。
私が言いたいのはこのような個人的価値観という
根拠の薄い価値観に頼り、まるで正義を振りかざすヒーローのように子ども達に叱責し、全知全能の神のような導きを与えて自己満足に浸っていないか?
ということを自戒をこめて、問題提起したいのです。

挨拶、人付き合いの始まり
コミュニケーションの始まり
始まりを印象良くしておかないと
その次のコミュニケーションが円滑に行かない。
だから、お互い気持ちよく挨拶をしておかなければならない。挨拶をすれば気持ちいい訳ではなく、気持ちの良い挨拶をしなければならない。
挨拶という始まりのコミュニケーションは、次に必要なコミュニケーションの円滑なステップアップに必要なのだ。

私はこう考えるから
挨拶はしなければならないと考える。

しかし、挨拶が人生における最も大切なことでしょうか?

違うような気がします。

究極、極論
人生に最も大切なことは、

笑顔かなぁ?!

人生における最も大切なこと。

皆さんは、何だと思いますか?