ネット上にあふれる誹謗中傷。

この心のない、無残な正義を語る偏見の塊が幾度もぶつけられて心が壊れてしまう。


見ず知らずの誰かが
まるで全てを知っているかの如く無知な鋭く尖った牙で噛み付く。

善意のつもりで投げかける悪意の塊が
正義の裁きを下すヒーローの如く
まるで悪を切り裂くように、心を引きちぎる。


有名人には、何を言っても良いと勘違いして
己の身勝手な偏見をぶつけて、まるで悪を裁いたヒーローの如く振る舞う。

相手は、プロだ。
プロフェッショナルに対し、敬意を払う気すらもない
己は演技や芝居を習ったのか?
実際にたくさんのカメラを前に話したことはあるのか?

この悪意の塊は、プロスポーツ選手にも向けられる。
成績が悪くなるとまるで戦犯者の如く切って捨てられる。罵詈雑言を球場で浴びせ日頃の鬱憤を晴らしている。にわかファンたちよ。
この大観衆の前で自分の日頃の努力の成果を発揮できるのか?

芸能人や有名人、
スポーツ選手や政治家に至るまで。

誹謗中傷、人格否定の嵐だ。

これでは、良い仕事ができるはずもない。

まるで、全知全能の神が悪を裁くが如く
人格否定を繰り返すネットの批判者たちよ。
そうして、命を奪った殺人犯として
一生、重荷を背負って生きていく覚悟があるのか?

誹謗中傷、人格否定によって何が生み出されるのか?
ただ、憎悪と哀しみだけだ。


建設的な批判。
相手に敬意を持った批判。
するなら、これをするべきだ。


この流れは、国会やメディアから生み出されたと
確信している。
まず、国会質問で相手の批判ばかりを繰り返す方々。
建設的で敬意を持った批判をしていますか?
内閣に属する大臣として日本の国政を担っている方としての敬意を忘れ、揚げ足をとり人格否定を繰り返し批判ばかりしてきた国会が私達の国権の最高機関で繰り広げられている実情だ。
それをことさらに切り貼りして取り上げるメディアが事態を助長している。
一国の総理大臣に敬意を持って報道していますか?

その影響を多分に受け
私達日本国民は、
他人への敬意を忘れてしまっている。
特にネットの世界では、目に見えないからこそ
他人への敬意がとても大切である。

批判するなら必ず建設的でなければならない。
どうすれば認められるのかを示す必要がある。

これは、国会の姿勢にも通ずる。

批判すらなら対案を出せ。

もう一度、私達の大切な歴史を思い出そう。

聖徳太子の十七条憲法より

一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
〜引用ウィキペディア〜

簡単に訳すと
1、話し合いを大切にし、いさかいを起こさないようにしよう。人は群れを作りたがるが、立派な指導者は少ない。目上の人に逆らう人も居れば、隣の人といさかいを起こす人も居る。しかし、目上の人とも下の人とも、協調と親睦を大切にしながら議論をすれば、自ずから理解し合い、どんなことでも解決できる。

違いを認め、お互い尊重し合うことで理解を深め、一致できる点を見つけ出し、分かり合うことで協力できる。生産性のない論争をすることなく、お互いの一致点を見出すことにより何事も解決できる。

批判することが目的なら、何も生み出せない。

私は、議論の先に何かを見い出せる人間で有りたい。