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 昨日に続いて、東京新聞<本音のコラム>より。  2018. 5.28 付

 

   宮子あずささん

 

 ある週末の訪問看護。

 ひとりで暮らす高齢男性の家にうかがい、思わず絶句した。床は水浸しならぬ尿浸し。中でぬれた紙パンツをはいた男性が 「来るな!てめえ!」 と怒鳴っていた。

 

 室内はすさまじい臭気で、入るのに躊躇 (ちゅうちょ) する。正直言えば、そのまま帰りたかった。実際「来るな!」 と言われているのだから。にもかかわらず、そうしなかったのは 「卑怯」 の二文字が頭をかすめたからだ。しかし、私を待っていたのは、想像以上の苦行だった。

 

 何しろ床を拭うものと言っても、ぞうきんしかない。ぞうきんに尿を染みさせては流しで絞り、を繰り返した。その最中、彼は私の目の前で大放尿。めげず拭き続け、何とか湿っている程度にまでは改善した。

 

 いま思い返しても、決して愉快な作業ではなかった。それでもなんとなく満足なのは 「するの、しないの、どっちなの!」 と自分が試されるような場面が、私は好きなのだろうと思う。

 

 尿浸しはできればご勘弁願いたいし、彼の今後も心配である。けれども、何より「卑怯」が嫌だとわかったのは大きな収穫。卑怯者が上に立つ世の中だからこそ、この一線を守っていきたい。

  (看護師)

 

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 衝撃の一文だった。

 病院や医院へ行くと様々な状態の患者さんであふれているが、人の目に触れないところで陰で地味に自分と闘っている人がいることに驚いた。認知症と一言で済まされないすさまじい現実を目の前にしたら、果たして自分は何ができるだろうと考えてしまう。

 尊敬と言おうか、いや、神様のような人が「卑怯者」と蔑まれないように、職業として働いていることにも。

 私の父母も病院で大変お世話になり、果たして自分は何をしていたんだろうといまだに後悔の念が残る。

 自分も12時間に渡る心臓手術をしていただいて以後、5年半、何とか生き延びてはいるものの、余病(慢性心不全・腎不全・肺気腫・下半身のムクミ・骨粗しょう症など) と薬の副作用や塩分・水分制限で日々苦しんでいる。

 

 しかし、この一文の最後の文章を読み終え、自分の病気を言い訳に卑怯者になっていたことに気がついた。  (安屯武留)