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佐藤愛子著 「上機嫌の本」 PHP文庫 より
<ヤバン人の独り言> から
気絶をくり返す治療法
六十八歳の今日まで私が入院したのは出産の時くらいなもので、そういうと人はずいぶん丈夫なのですね、と感心する。だが考えてみると丈夫なのではなく、単に病院がイヤで入院しなかっただけだったことに気がつくのである。
当今は実に簡単に入院する人が多い。まるでちょっと旅行してきました、とでもいうように、入院してました、というのに私は驚く。入院は私にとって生きるか死ぬかの瀬戸際、おそらくは自分の意志を働かせる力がなくなり、人の意志で運ばれる時であろうと思っている。
二十年ほど前、私は胆嚢炎(たんのうえん)で苦しんだ時期がある。胆嚢に石がたまり、炎症が起きて夜中になると激痛に襲われた。旅行先でも何度か苦しんだ。はじめは疲労のための胃の痛みだと思っていた。それで胃薬を飲んだかというとそれが飲まなかった。私は病院が嫌いであると同時に薬も嫌いなのである。
それではどうしたかというと、ただひたすら痛みに耐えた。深夜の激痛は耐えるほかないのである。耐えることが出来ないとなれば救急車の厄介になって病院行きだ。それを思うと我慢しようという気になった。
<中略>
そこで丸まって痛みに耐えている。そのうちいつしか眠ったとみえて、はっと気がつくと痛みは遠のいている。「いつしか眠った」と思ったのはどうやら「気絶」というものらしいことにそのうち気がついた。つまり気絶することによって私は胆嚢の痛みを乗り越えていたのである。
この話を人にすると、人はみな呆(あき)れ返る。
遠藤周作さんからは「君はヤバン人か」といわれ、遠藤さんの強(た)っての勧めで胆嚢専門医の所へ仕方なく行った。
いろいろ検査や治療を試みた結果、手術のほかに手だてなしといわれ、手術となれば入院しなくてはならないので二度と顔を出さず、そのまま気絶をくり返しているうちにいつしか痛みはおさまり、今日に到っている。
胆嚢は癒(い)えたわけでは無論なく、バクダンを抱えているようなものなのであろう。このバクダンはいつ爆発するかしれないが、あるいはこのまま私が死ぬまで爆発せずにいてくれるかもしれない。
偉大なり、自然治癒力
胆嚢の痛みがくるようになってから、私の食物に対する嗜好は激変した。それまでは肉食を好んでいたのだが、牛肉など年に二回か三回、人の招待でやむなく食べるだけ、自宅では肉料理は一切しなくなった。その代わりに大根おろしの中毒ともいうべき状態になり、朝、昼、晩、ご飯は食べなくても大根おろしだけは食べたいというふうになった。大根おろしのほかにはもうひとつ、昔は大キライだったトマトが好きになり、来る日も来る日も大根おろしとトマトばかり食べている。友人にすし屋へ連れて行かれても大根おろしを注文するという有様である。
動物には自然治癒力というものがあって、野生動物はみな、自分の力で病や傷を癒している。人間も「ヤバン人」であった頃は自然治癒力というものが旺盛であったに違いない。科学の進歩で人間(ばかりでなく、この節は犬や猫も)の自然治癒力は摩滅してきていて医薬に頼らなければならなくなっている。そうして医薬にばかり頼っていると、ますます自然治癒力というものは失われてしまう。
私の胆嚢が鎮静しているのは、私の中なる自然治癒力が大根おろしとトマトの偏食へと導いてくれたおかげだと私は思っている。
「もういい加減に佐藤さんもヤバン人を卒業した方がいいですよ」
と人は忠告してくれる。
「年をとってヤバン人でいつづけるというのはたいへんなことでしょう。二十年前はエネルギーがあったから、気絶してことがすんだ。しかし七十歳に近づいてきた今はムチャはいけません。ムチャはいのちを縮めるもとですよ」 と。
「そうね、確かにそうですね」
素直に私は答える。確かにその通りであろう。この次病気になった時は、きっと医薬に頼ろうと思う。
私は今、花粉症の真っ最中でこの原稿を書きながらも机のまわりは洟(はな)を拭いたティッシュの山。屑籠に入り切らずに溢れたティッシュが山のようになっているのである。
<中略>
目からはとめどもなく涙が流れ、拭いても拭いても乾く間がないので、瞼は腫れ上がってよく見えない。鼻はヒリヒリを通り越して熱をもっているようだ。友人はそんな私を見て、
「あなたっていったい、マゾヒスト?」
といった。
ああ、何という情けないことをいわれるものかな。我慢強い人、克己の人となぜいってくれぬ。そういうと更にこういわれた。
「ただガンコなだけよ。厄介(やっかい)な人」