2000年も26年と半月が過ぎました今年。
世の中、毎年同じように習慣化した儀式のように、「当たり前」に一年という時間を過ごし、
誰も彼もが口を揃えて、1月になると「明けましておめでとう。」

何がめでたいのか、分かっててその挨拶を交わしているのかぃ⁇

毎朝目が覚めて、「ありがたい」と思っている人はどれくらいいるのかな?

何もかもが「当たり前」と思ってたら、感謝のかの字もでんわな。


毎年、成人式で馬鹿騒ぎする歳だけ喰った幼児たち👶。恥ずかしさも知らんと世に出て行くんかぃ?まことに残念な生き物やね。

自分の事しか考えてない人類が、地球上の半数を超えたら、淘汰が始まる。

信じますか。

淘汰の仕方はいくらでもある。

仮に自分が地球🌏だとして、表面にくっつかれて、好き勝手にやりたい放題されて、痒かったり痛かったりしたら、払い除けませんか?。


🌏何にも言わずに最適な環境を用意して、住まわしているのに、感謝もせずに当たり前だと思っている存在。鬱陶しいと思いませんか。


そんな存在、減らしたいに決まってるでしょう。

地震、津波、火山噴火、異常気象、疫病。


あなただって、蚊に刺されたら、思わず叩く事が多いんじゃないでしょうか。

蚊が嫌われる理由=自己中。

地球にしてみれば、当然の作用。

危険な思想に聞こえますか?
まぁ観てれば分かります。そんなに時間はかからない、それくらい増えている、自己中心的人類。


巷では、「〇〇ハラスメント」が山のようにあるという。

その原因をCoccoは、この自己中心的発想と考えている。


嫌いな上司の指示や注意をすべてパワハラにする部下は、自身の主義主張に合わない、反する人や物事に対して、ハラスメント認定を下す。


ハラスメント判断の起点は、【自分が気に入らない】ではなかろうか?。


好意的な上司なら、何でもない指示や注意が、【自分が気に入らない】という理由で真逆になる。


そこにあるのは『自己中心的な心』

これが全ての歯車を狂わせていないか?

少子化、文化保存、社会秩序、国家運営。

ありとあらゆる場面で影響していないか?


個人の尊重。


聞こえは良いが、それは、お互いを労わる心が大前提ではないのか。

単なる自己主張でしかないから、ものごとのギクシャクが絡み合う。

自己主張する割に、自己責任は一切取ろうとしない。

あいつが悪い。コイツがダメだ。制度がなってない。環境が整っていない。政治家が無能すぎる。法律がアホ過ぎる。


そりゃそうだろ。そいつらも自己中人間だから、やる事は同じよ。自己中が、自己中に自己中な人間を縛ってるんだから。


今、現時点の自分が幸せなら、それの何が悪いの?とでもって思ってるのかな。

自分と同じ考え方の人で世界が埋まったら、どんな世界が展開されるか想像してみ。

争いのない世界になりそうなら、まだ救いがあるかもね。


共業と不共業という事を聞いた事がある。

言い換えるなら、全体責任と、個人責任。


善良な存在が減り、邪悪な存在が増えた場合。

邪悪なものへの浄化作用は、対象を選ばない。

基本的に津波はすべてをさらう。

衆愚性を持つ多数決による改悪は、少数派をも巻き込む。


そうならないために必要な事は何か?


単純な事よ。


自己中心的な考えをやめること。

当たり前と思わないこと。


この二つ。たった二つの切り替えをするだけでいい。


なぜ出来ない?何故か出来ない。


それが自己保身さ。


自分が可愛い。そりゃそうだ。だったら周りも可愛がれって事。


蚊のように叩かれたくなかったら。

カサブタのように、掻き取られたくなかったら。


単純に、愛し合い、睦み合い、信じ合い、慈しみ合う個人になれってことじゃないの?。


自由の発揮には、必ず、責任が伴うの。

勝手の責任が淘汰。


今年一番!!。

言いたい放題書きました。

その責任は、愛を奪う側ではなく、愛を与える側の人として生きることで、果たして行きます。


ではまた✌️







わんわん

信仰って⁈

何だと思いますか⁈
存在を信じて仰ぎみる…。
仰ぎみる存在を信じる…。

ときおり、答えが有りそうで無さそうで、この世の知識では解答出来そうにない事に、思索を巡らす事があります。
この間、テレビで見たんですが、あるイスラムの国のタクシー運転手さん達への同乗インタビューの様な番組があったんです。
インタビュアーを乗せたドライバーさん、暫く走ると突然停車してこう言いました。「これからお祈りをするので、暫く待っていて下さい。」って。で、戻ってきた彼に、お祈りの後はどんな気分ですか?
彼曰く、とても清々しい気分です。今私はあなた方に、ジュースをプレゼントしたい気分なので、そうさせてもらえますか?って。
ジュースをプレゼントされた彼達は聞きます。何故こんなに良くしてくれるんですか?
彼曰く、私がするのではなく、神の願いがあなた方に喜んでもらいたいからだ。と。

別のドライバーの車に乗車。
彼はまだ若く、間もなく一年間の兵役に行かねばならず、その間の稼ぎが無いので、ドライバーをして稼いでいるとの事。その彼に質問。
この仕事で一年分の稼ぎがあるんですか?
彼曰く、金額は、私が決めるものではありません。神が私にとって必要な額を与えて下さるので、私はそれを受けさせていただくだけです。

また別のドライバーの車に乗車。
乗車した彼らは、ドライバーのお勧めの場所に行って欲しいと頼んだ。
そこに着くと、ここはイスラム教徒とキリスト教徒が混在している地域です。彼らはお互いの神を信じる事を尊重し合い、お互いの教義を理解し合って仲良く暮らしています。と説明してくれたそうです。

とまぁ、うろ覚えで申し訳ないんですが、こんな内容だったと思いますが、なんだか世間に報道されている激しい宗教観の争いが、一体何なのか理解に苦しみましたゎ。(-_-;)

目に見えない神を信じ、優しさに満ちて接する人々。
目に見えない神を信じ、それだけが正しいと他を攻撃する人々。
神など信じずとも、優しく接する人々。
神など信じず、唯一は我と、傲岸不遜に生きる人々。
玉石混淆の世の中、玉を掴む人生を歩むのか、石を掴む人生を歩むのか、何が玉で何が石なのか?

私は、30年前は、神も仏もあるもんかい!そんな物は迷信!迷信!宗教なんぞは弱い者がおすがりしてるもんや!!
とマジで真剣に思っておりました。

ところが、今は真逆の考えを持っています。
弱い者がすがるどころか、強くあり続けなければ信じられないと思っています。

自己責任から逃れ、言い訳に生き、戦う相手は常に自分以外。

これが30年前の私です。

自己責任を受け止め、言い訳を排し、常に自分と向き合う。
これ、皆さん出来てますか?
そうそうに簡単な事ではないはずです。

その際に何を基準に正しさを決めるのか?
それを教えているのが、神仏のおもいを伝えている宗教家なんだと思います。

多くの人々が、特に日本人は「宗教」という言葉に違和感というよりも排斥、嫌悪の思いを持っている様に感じます。(過去私がそうだったからかもですが。)

では何が正しいのか?
その教えが広まった時、
①相手を慈しみ認め合い、共に喜び合える世界になるのか?
②自己中心的に他を排斥し合い、自分達だけがを言い合う世界になるのか?

誰もが、心の奥底で愛されたい、認められたい、優しくしてほしい、そう思っているんじゃないですか。それは自身の心の中に愛されたという記憶があるからと言えるのではないかとも思いますが。
一方的にそれを求めようとすると、②の「奪う愛」の行為に走ります。

「与える愛」を知っている方は、自然に相手が喜ぶことが自分の幸せだと、気づかないうちにも感じていて、行動しています。
この「与える愛」の本質を教えてくれるのが、正しい宗教なのではないかと思っております。

与え方次第では、相手を駄目にしてしまう。
自分の都合で良かれと相手に与えてしまう。
与える愛と名がついても、間違う事は沢山あります。
それを日々点検し、修正して行く事を学ばせてもらうのが宗教であり、神仏のおもいを伝えている宗教家を通じて降ろされる「教え」を信じ実践しようとすることが、「信仰」なのではないかと思っております。

何やら小難しいことの様に書いてしまいましたが、誰でも何処からでも「信仰」は可能です。

入り口は無限にあり、喜びから入る方もあり、悲しみから入る方もあり、苦しみから逃れたくて道を求める方。色んな方々がおられます。

その昔、会社勤めのとき、職場の方に勧めたら、
「僕、困ってないからいいです!」って言われて、はぁ⤵︎?昔の自分と同じか⁉︎なんて思った事もありましたが、今の私が言えるのは、【困った時だけ求めるものじゃないんよ、普段の生活の中、自分を愛し、他人を愛し、生かし、許すという事を正しく行う為の指針を学ぶのが「宗教」なんやよ!。】って事です。

誰もが不用意に、この世を去る可能性が高い時代になってしまいました。
待った無しです。
これを読まれているあなたがCoccoの事をどう思うかなんて、そんなちっぽけな事なんてもうどうでもいい事です。

私の信じている神と呼ばれる存在は、「エル・カンターレ」という存在です。
幸福の科学という宗教団体を知っている方も多いと思いますが、賛否両論あるでしょう。
ただ、言える事は、「否」の皆様に共通しているのは、(自分の思い通りにならなかった)事が原因だと思えます。
自分の都合に合わない、ここはおかしいなど、教えの部分を自分基準に合わせて判定してしまい、自身にとって厳しい事を指摘されたり、間違いを言い当てられた時、直すべきを正さず、自己変革を拒否したのだと思えます。

お金だけ取られたと思っている方、何が欲しくて信じたんですか?入って拝んで金積めば、幸せな金持ちになるとでも思ってるんですか?
そういうのを『ありがた信仰』って言うんです。
本物の宗教は、そんなヌルいものではありません。

自らを愛し、人を愛し、すべての人々が幸せな方向に向かうように、切磋琢磨しお互いに無限の向上を目指そうとしている宗教、その方法、方向を指し示している宗教こそが、本物の宗教なんです。
そんな厳しい宗教。私には無理!
そう思った方、今回の人生で宗教回避しても、到底逃げ切れませんよ。
何故って、誰でも必ず死ぬんですから…。
めちゃ大きな括りで言うと、死後周りが暗かったり、寒かったり、重力を感じてた生前と変わらないと思えたりしたら、そこは地獄です。
そこは、『知らなかった、知ろうとしなかった責任を取る為の場所』です。
じゃあそこで勉強すればいいじゃん。ですか?
今、現時点で受け入れ難い、遠ざけたいと思う考え方を、「はいそうですか!」って出来ると思いますか?
なかなかに厳しいと思いますよ。

その前に、知っておく事がとても大事なんです。この世の先が、死後の世界があるのかないのか?
選択肢は二つ!!。
何もなければ、私の言うことは戯言で、すべては無くなり「無」です。
しかしあった場合はどうするんですか?
自死にも気づかず、この世を彷徨い、生きる者たちに助けを求める。
こういう存在を悪霊、悪魔と呼ぶんです。
本人は、そうなっている事すら知らない、分かろうとしない。結末は苦しみの世界なんです。

この世的に言えば、宗教は、【来世保険】なんです。信じる事にかけておけば、然るべき所に還れるんです。
ただし。おすがり、ありがた、自己中な教えにかければ、反省の場所(地獄)へ誘われます。

自助努力をし、自己責任を取り、自己変革を果たす。そのやり方を教えてくれる宗教を信じ、行動すれば、来世は明るい世界になるはずです。

さぁ!選択肢は二つ。
あなたはどちらを選ぶ⁈。









2025年もあとちょっとで終わろうしておりますところ。
本日12月30日。胃カメラの検査をしてまいりました💦。

半年くらい前から、左胸下辺りに「何かおる」!?感があり、日増しにその存在感が増しておりました。
町の総合健診で、バリウム検査では、所見無し。
それでも、やはり「何がおる」。
結局地元の病院にお世話になりまして。
痛みの位置から、まずレントゲン。
肺に異常は無く、実年齢より3歳若い機能だと!?
ちょっと意外な結果だが、まぁ良きかな❤️。


次は、心臓のエコー。

弁先の石灰化が発覚。逆流が見られるとの事。
たまに息苦しさを感じるのはコレか⁈。

でも、コレが原因とは思えない。

続いて腹部エコー検査。

腎臓に結石発見💡。
たまにチリチリ痛んでたのはコレか?。

今回探ってるのはそこじゃない!!。


核心を突きそうなモノ発見!!

胃にポリープあり💦。

で。
胃カメラ。

過去数十年前に2回ほどやってきましたが、「そんなもん呑めるか⁈」というキツい思い出しかありませんな。

そんな訳で、何気に避けて通ってたんですが…まぁやるしかないか😩。

で受けた訳ですが、技術革新も噂に聞いていて、鼻から入れるタイプだの寝てるうちに終わるなど、私としては、ホンマかいななところでしたが、地元の病院は、寝てるうちに終わるタイプということで、観念して今日を迎えました。


最初の手順は、今も変わらず、喉に液体の麻酔をシュッとやられ、ゼリー狀の怪しげなモノを舌の上でしばらく保持してペッと吐き出し、口に輪っかを咥えさせられ…。

あの苦しい瞬間が蘇る😩。

今までと違うのは、何やら点滴を打たれた事。

ポタポタと落ち始め、手元を見るとチューブの途中に何やら注射器が接続されてる。


看護師さんが、これから眠くなる薬入れていきますね〜って。

喋れないから頷いた後から、即、記憶がない⁉️

施術医の「はい、これで終わりですよ」の声で気がついた時には、口の輪っかも無く、車椅子でベッドに移動。歩けそうになったらコール押してくださいね。と言われて、自分感覚では2〜3分でコールしたつもりが、待合室に戻ったら、なんと、すでに2時間も過ぎてる😱⏰。


確か検査は15分もあれば終わると聞いていたので、頭の中は🤑⁉️⁉️⁉️🤑マーク満タン‼️。


どこでそんなに時間をかけたのか⁉️

正常に考えられる意識で探っても、ベッドに移動してコール押すまでのあの間しかないのだが…。


不可解な経験のあと、担当医の説明。ママが後ろで聞いていて「多分覚えてらっしゃらないでしょうから」の医師の言葉だけは覚えてる。


結局、一部組織を取って検査に送るのと、十二指腸の壁が厚くなってるなどなど。

まぁ画像を素人目に観ても荒れてるなぁな所見。

処方されたお薬を飲んで、検査結果待ちとなりました。


改めて、これが「老」なのかなぁと感じざるを得ませんな。

そこらじゅう劣化してるやん。

何不自由無く動けているのは、当たり前じゃないじゃん。傷みながらも、壊れかけながらも、その機能を果たそうとしてくれてる、内臓さんたちの頑張りを忘れてはいけませんな。

みんながいつまで頑張れるかは、自分の心持ちにかかってる。


もっと意識を持って大切にしなければなりませんね

そんな気がする体験でした。