さくら・賀喜「皆さん、こんにちは~!」

さくら「乃木坂46、4期生の遠藤さくらです!」

賀喜「乃木坂46、4期生の賀喜遥香です!」

久保「3連続ですがゲスト扱いです。乃木坂46、3期生の久保史緒里です!」

い「いてまえです」

さくら「ゲストは久保ちゃんだけじゃないですよ~!」

梅澤「ども。乃木坂46、3期生の梅澤美波です!」

賀喜「この面子でお送りしまーす!」


ということで、今回は変なジンクスが生まれた…
馬場鉄志アナウンサーを紹介します!

馬場アナの経歴を紹介しましょう。
1974年に関西テレビに入社。
F1グランプリ初実況は1987年イタリアグランプリ。


賀喜「このレースあれなんですね、ホンダ勢が表彰台独占だったんですね!」

い「そう。ウィリアムズ・ホンダのネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセル、ロータス・ホンダのアイルトン・セナ。スゴいよね」


馬場アナの話に戻ります。
実況開始当初はハンガリーグランプリ、メキシコグランプリ、カナダグランプリなど、日本から離れたり、時差が大きい国を担当していたが、その後はモナコグランプリなど、日本グランプリ以外の主要なレースを担当していた。

馬場さん自身はF1ファンであり、1987年以前よりF1が好きだった。
ちなみに馬場さんの好きなマシンはロータス・78らしい。
これがそのロータス・78。

これ使用されたのは1977、1978年の2年である。
フジテレビがF1中継を始めたのは1987年なので、ガチ度がよく分かる。

さてこの馬場アナ、実はセナと相性がものすごく悪かった。
馬場アナが実況を担当した1993年スペイングランプリで解説を担当した古舘伊知郎氏によると…

22戦4勝らしい。


さくら・賀喜「!?」

梅澤「勝てなさすぎでしょ!」

久保「なんでなんでしょうね?」

い「謎ですよね」


ホンダ陣営もそれを知っているようで、1990年スペイングランプリでフジテレビが馬場アナの顔写真を実況ブースに貼り付けて実況した際は『悪ふざけが過ぎる』と苦言を呈された。
ちなみにセナはリタイアした。


さくら「逆に相性のいい選手とかいなかったんですか?」

い「いたよ。アイルトン・セナとマクラーレン・ホンダで1990年から1992年までチームメイトだったゲルハルト・ベルガーだよ」


ベルガーとは
1988年イタリアグランプリ
(当時史上最強チームだったマクラーレン・ホンダが唯一勝てなかったレース)
1992年オーストラリアグランプリ
(ホンダ2期最終レース)
1997年ドイツグランプリ
(ベルガーF1最後の勝利レース)
など、ベルガーの優勝レース10回のうち、5回が馬場アナの実況というように相性はかなり良かった。

その中でも1992年オーストラリアグランプリはホンダ2期ラストレースということもあり、
「ホンダエンジン最後のレース、見事ゲルハルト・ベルガー勝利で飾りました!ありがとうゲルハルト!!
と、喜びを爆発させていた。


久保「ところで…馬場さんは今どうしてるんですかね?」

い「馬場アナは1998年まで担当。その後もスポーツ実況を担当してたが、2010年9月限りで定年退職したよ」

梅澤「なんか競馬とかやってましたよね!」

い「そうそう。桜花賞とかね」


賀喜「現在の馬場さん見せてください!」

い「…いいよ」


い「真ん中が馬場さんだよ」

さくら・賀喜・久保・梅澤「「「「え!?」」」」

賀喜「どう見ても太りすぎですよ!」

さくら「なんでこんなに太ってるんですか!?」

い「うん。馬場さん、実は太りやすい体質で…」

梅澤「にしてもですよ!?」


さくら「まぁこんな感じで終わりますけど…」

久保「面白かったね笑」

さくら「準レギュラーみたい笑」

梅澤「また来ますね!」

賀喜「待ってるよ~!」


次回もお楽しみに!