さくら・賀喜「皆さん、こんにちは~!」
さくら「乃木坂46、4期生の遠藤さくらです!」
賀喜「乃木坂46、4期生の賀喜遥香です!」
い「いてまえです」
さくら「ゲストは久保ちゃんだけじゃないですよ~!」
賀喜「この面子でお送りしまーす!」
ということで、今回は変なジンクスが生まれた…
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200609/23/19880921-bz/18/19/j/o0655046814771835707.jpg?caw=800)
馬場鉄志アナウンサーを紹介します!
馬場アナの経歴を紹介しましょう。
1974年に関西テレビに入社。
F1グランプリ初実況は1987年イタリアグランプリ。
い「そう。ウィリアムズ・ホンダのネルソン・ピケ、ナイジェル・マンセル、ロータス・ホンダのアイルトン・セナ。スゴいよね」
馬場アナの話に戻ります。
実況開始当初はハンガリーグランプリ、メキシコグランプリ、カナダグランプリなど、日本から離れたり、時差が大きい国を担当していたが、その後はモナコグランプリなど、日本グランプリ以外の主要なレースを担当していた。
馬場さん自身はF1ファンであり、1987年以前よりF1が好きだった。
ちなみに馬場さんの好きなマシンはロータス・78らしい。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200609/23/19880921-bz/ac/b1/j/o1080051814771835711.jpg?caw=800)
これがそのロータス・78。
これ使用されたのは1977、1978年の2年である。
フジテレビがF1中継を始めたのは1987年なので、ガチ度がよく分かる。
さてこの馬場アナ、実はセナと相性がものすごく悪かった。
馬場アナが実況を担当した1993年スペイングランプリで解説を担当した古舘伊知郎氏によると…
22戦4勝らしい。
久保「なんでなんでしょうね?」
い「謎ですよね」
ホンダ陣営もそれを知っているようで、1990年スペイングランプリでフジテレビが馬場アナの顔写真を実況ブースに貼り付けて実況した際は『悪ふざけが過ぎる』と苦言を呈された。
ちなみにセナはリタイアした。
い「いたよ。アイルトン・セナとマクラーレン・ホンダで1990年から1992年までチームメイトだったゲルハルト・ベルガーだよ」
ベルガーとは
1988年イタリアグランプリ
(当時史上最強チームだったマクラーレン・ホンダが唯一勝てなかったレース)
1992年オーストラリアグランプリ
(ホンダ2期最終レース)
1997年ドイツグランプリ
(ベルガーF1最後の勝利レース)
など、ベルガーの優勝レース10回のうち、5回が馬場アナの実況というように相性はかなり良かった。
その中でも1992年オーストラリアグランプリはホンダ2期ラストレースということもあり、
「ホンダエンジン最後のレース、見事ゲルハルト・ベルガー勝利で飾りました!ありがとうゲルハルト!!」
と、喜びを爆発させていた。
い「馬場アナは1998年まで担当。その後もスポーツ実況を担当してたが、2010年9月限りで定年退職したよ」
い「そうそう。桜花賞とかね」
い「…いいよ」
さくら・賀喜・久保・梅澤「「「「え!?」」」」
賀喜「どう見ても太りすぎですよ!」
さくら「なんでこんなに太ってるんですか!?」
い「うん。馬場さん、実は太りやすい体質で…」
梅澤「にしてもですよ!?」
久保「面白かったね笑」
さくら「準レギュラーみたい笑」
賀喜「待ってるよ~!」
次回もお楽しみに!