今年はあまりにも負けまくったヤクルト。
そんなヤクルトにも黄金時代がありました。
90年代です。
云わば、野村監督がヤクルトに居た頃ですね。
古田さんを育てたとしても有名ですね。

野村監督が率いたヤクルトは1992年、1993年、1995年、1997年の4回。
その中で今回は1993年の日本シリーズをお送りします。
この年の1年前、つまりは1992年、ヤクルトは西武に3勝4敗で敗れていました。
西武の森監督は日本シリーズ20連勝を達成してました。

この年の第7戦、代打杉浦の打球を二塁手辻が好捕した上に、三塁走者広沢を封殺した場面がある。
野村監督によると、広沢は、二塁手が直接捕球するか否かの判断でスタートが遅れたと答え、それをきっかけに、三塁走者が打球が飛んだ瞬間にスタートをきる(ライナーの打球が直接捕球されて併殺となったら仕方ない、と考える)「ギャンブルスタート」を考え出したという。
このギャンブルスタートが翌年の日本シリーズに大きな影響を及ぼす…

リベンジに燃えるヤクルト。
しかし、再び3勝3敗で迎えた第7戦。
場所は西武ライオンズ球場。
現在は西武ドームですね。

西武の先発は渡辺久信。

ヤクルトの先発は川崎。

試合はいきなり1回から動き出す。
まずヤクルトがヒットとエラーで一死一,三塁としたところでバッターは広沢!
なんと…

ホームラン!!
初回にいきなり3点を先制しました!

しかしその裏、西武も反撃する。
実はこの第7戦までヤクルト投手陣は西武打者陣への決め球は内角へのストレートでした。
しかしこの作戦を読み取った森監督は攻撃の方針を変えました。

迎えるバッターは清原。
その苦しめた内角を打ち、ホームランにした。
たちまちヤクルトは1点差に。
このとき、清原は内角を待ってるかのように体を開いていた。
そのため真芯で捉えたのだ。

古田は西武は内角に狙いを絞ってると判断。
決め球を外角に変更することを決意する。
さらに古田は内角を意識させ、外角で勝負をかけた。
つまり、裏の裏をかいたのだ。

この作戦は成功した。
西武打線は翻弄されていった。
ヤクルトは初回の清原のホームランのみで抑えた。

一方のヤクルトも7回までに広沢のホームランのみで1点差のまま8回に入った。

ここで古田はスリーベースヒットを放つ。
一死三塁。
ここで古田はあのギャンブルスタートのサインが出るのを確信していた。
しかし、野村監督は…



「ギャンブルはしない」
西武が極端な前進守備を敷いていたからだった…

古田は決めた…




「命令を無視する」と…
古田と野村監督は師弟関係。
つまり、弟子が師匠の言うことを聞かなかったのだ。
バッターは広沢…
打った瞬間、古田はギャンブルスタートをきった。

ボールを取った西武のショート田辺は古田を見て、ホーム送球を諦めた。
つまり、ギャンブルスタートでなければ奪えなかった1点だった…

そして迎えた9回裏。
ヤクルトのマウンドには高津臣吾。
高津の決め球はシンカー。
このシンカー、実は西武の潮崎のシンカーを野村監督が盗めと言って習得させた決め球だったのです。

思えば高津、飯田、秦とヤクルトは配置転換で光り出した選手も少なくありません。
やはり配置転換はドラマを起こすひとつのスパイスなのでしょうか…

そうして、決着。
最後のバッター鈴木健を三振に仕留め、ゲームセット。
森監督の日本シリーズ連勝を止め、新たな歴史が始まったのです…!

ちなみにこのシリーズを最後に全試合デーゲームがなくなり、翌年から土日のみデーゲームに、95年からは全試合ナイターとなった…