同期の日菜
私は宮崎県北部で生まれ育った。バレーボールに出会ったのは、小学校4年生の時。ひいばあちゃんこと「古賀京子」がバレーボール連盟の会長だったからだ。小学校に入って、1人の友達と出会った。それが、竹下愛。わたしは彼女とよく遊ぶ様になった。毎日が楽しい!そう、思える日々だった。4年生の夏、私はひいばあちゃんに勧められてバレーボールを始めた。練習はきつかったけど、バレーボールの楽しさをひいばあちゃんが教えてくれた。私は愛ちゃんをバレー部に誘った。どんどん才能を開花していく愛ちゃんを見て、私はびっくりした。いつか、将来の夢を語り合ったっけ、な。「全日本に行こうね。世界と戦いたい」ひいばあちゃんが率いるチームで練習を行い、時には試合まで出た。私が最初に愛ちゃんと試合に出た時、結果は惨敗だった。2人で意見を言い合い、喧嘩したよね。ずっと、愛ちゃんと一緒にいた。上京してから6年目位だった時かな?。確か、私が鼻を骨折した事があったよね。「大丈夫?」愛ちゃんは周りに見えない様に、私に背中を向けてくれた。あれが、愛ちゃんの優しさだったのかも知れない。練習後、愛ちゃんは私達を集合させた。「みんなで、マスクせん?」きっと、私を気遣ってくれたのだろう。会社に出社して来た私達を見て、木島が言い放った言葉は今も忘れられない。「バレー部って風邪でも流行ってんのか?」愛ちゃんは木島を鋭く見据えた。「あ、あれか!声出し過ぎたとか!」木島のからかいはエスカレートし、私は今にも木島を殴りそうだ。そんな時、愛ちゃんが木島を鋭く見据えた。「バカにすんな!」このままエスカレートしたらいけない、と、私は愛ちゃんの肩を抑えた。「木島を見返そうや」愛ちゃんは私の怪我が治るまで、マスクをして試合や練習に参加した。何度、全日本に選ばれなくても、愛ちゃんの努力をする姿は今でも目に焼き付いている。怪我も回復して何年経った頃、花村建設のバレー部が廃部になる事が決まった。愛ちゃんは次第に痩せていき、休職届を出した。私は花村建設に残るか、別のチームに移籍をするかでー思い悩んでいた。決めたよ、日菜。私は会社を辞めて、やりたい事をする事にした。ずっと、憧れだった職業。「自衛隊の候補生」に応募した。