思考解放セラピスト 沼澤 広美です。

ご訪問ありがとうございます🌹

なぜ私がセラピストになったのか?

そこには生育歴の経験が基本となっている🌱





毒親の呪縛から解放され
自分の人生を生きたい方に寄り添いたい❗


なぜ そう思うのか?



2歳の記憶は40年以上もの間 
悪夢として現れた。


私には母と遊んだ記憶がない。
母との記憶は2歳の時の虐待から始まる…

新築の2階の部屋の白壁に
青いクレヨンでたくさんの女の子の絵を
描いたことで激怒した母に
階段から引きずり下ろされ、
玄関で殴り続けられ
「殺される」と思ったところから始まる。

最初は声が出ていたけれど、
恐怖で呼吸が苦しくなったことを覚えている。

近所の叔母さんが
「もう止めなさい。死んじゃうよ」
と言って怒り狂う母を
必死に止めてくれたことで私が現存している。

しかし、この恐怖が46歳になるまで、
悪夢として何度も何度も登場し、
その度に苦しさと恐怖で
目を覚ますことになるとは思ってもみなかった。
(当時PTSDという言葉さえなかった)

6歳になる年に弟が生まれ、
私は名前ではなく
「お姉ちゃん」と呼ばれるようになった。

弟が泣く、グズル、すぐ寝ないのは
「お姉ちゃんが悪い子だから…」
「お姉ちゃんのくせに手伝いを満足にできない」
「気が利かない」などと言われ
手で叩く、ホウキの柄で叩く、外に出されるなどの心身に暴力を受けていた。

「憎たらしい」
「バカ」
「出ていけ」
「死ね」は
日常茶飯事だった。

「弟は跡取りだから可愛いが、
お前はお父さんに似ているから可愛くない」
はお決まりのセリフだった。

小学4年生の宿題で
名前の由来を親に聞くというのがあり
母に聞いてみると
「お前は拾った子だから
最初は拾子にしようと思ったけど
可哀想だから広美にしてやった」と言われ

「やっぱり このうちの子じゃないから
優しくしてもらえないんだ。
いらない子なんだ」
と妙に納得しつつも、
とても悲しく、
気持ちが塞ぎ込んだのを覚えている。

それからは親に何を言われても、
いくら叩かれても仕方がないと
自分に言い聞かせ怒りや悲しみを
溜め込んでいった。

やがて思春期になる頃には
「死にたい」と思うようになった。



内なる怒りが自分に向く



高校で進路を決める時、
私はセラピストになりたかったが
母の猛反対に負け就職を選んだ。

就職してからは職場の方々に認めてほしくて
ワーカーホリック的に働いた。

いくら成績を残しても、
誉められても満足することはなく
心は虚しいままだった。

22歳になると母から
「結婚しなさいと」言われるようになったが
仕事ばかりで恋愛も満足にしたことがない私…

どうしたものか?

そんな時
社内の食事会で知り合った人がいた。

ただ それだけだったのに
母に話したことで
話しが結婚へと向かった。

常に母が介入してくる結婚に
自己肯定感は下がる一方で
相手と真剣に向き合うことなく
心は離れていき 離婚

親離れできなかった私は
実家に出戻った。

親との関係性に息が詰まりそうになり
家を出たいと思っていたら
仲人好きの方からお見合いの話があり、
家を離れられるならと
あっさり再婚することにしてしまった。

相手の内面を見ることなく、
表面的な情報で決めたのだった。

結婚して親に愛してもらえなかった分、
相手に愛してもらおうと考えていたが、
そんな幼稚な考えはいとも簡単に消え去った。

なんと今度はDVに耐える日々となった。

いきなり物が飛んでくる。
床に叩きつけられる。
すれ違い様に「いつでも殺せる」と言われる。
心休まる時は無くなった。

「私の人生は暴力と暴言に耐えること」
だと思うことで自分の感情を麻痺させた。

ずっと暴力と暴言にコントロールされ怒り、
悲しみ、恐怖を封じ込めた人生を
送っていたためか、
1998年5月 
ウイルス感染症になったことがきっかけとなり、
うつ病、パニック障害、過呼吸、対人恐怖症、ニコチン依存症、摂食障害、不眠症、虐待のフラッシュバック、チョコレート依存、慢性頭痛、肩凝り、投薬依存など次々と発症し、
ドクターショッピングを繰り返し、
やがて自殺願望が日に日に強くなり、
手首を切るための練習を始めた。

頭、心、体がバラバラになったようで、
季節感はなくグレーな世界に
一人取り残されたようだった。

これらの症状は内なる怒りが原因だと知ったのは、自分と向き合い始めてからだった。

自分の人生が手に負えなくなり 
人生のどん底を知った。



自分を取り戻す



そんな底付きに追い討ちをかけたのは
夫の多額の借金だった。

8件のサラ金からの取り立てが一斉にスタートし「死にたい」がマックスになったタイミングで
心療内科から精神科に移り、
担当医から自助グループを紹介されたことで
私は自分を大切にすることを学ぶ機会を得た。

最初は心を開くことができず、
自分の内面をみるなど怖くて出来なかった。

しかし、
インナーチャイルドが
ものすごく傷付いていることを認め、
自分に寄り添う仲間を目の当たりにして
私も自分を癒したい❗
と思えるようになり学び始めた。

森田療法、
アディクションプログラム、
カウンセリングを精神科で受けながら、
怒りのワーク、
悲しみのワーク、
トラウマのワーク、
インナーチャイルドワークなども受講。

自分が抑圧してきた感情と向き合うこととなった。

どんな自分であっても
受け入れることの大切さを
知った。

NLPマスタープラクティショナー、
健康・生きがいづくりアドバイザー、
TCカラーファシリテーター、
ストレスマネイジメントなどを学び、
学びを日々実践することで
自分の回復に努め、
めでたく夫とは離婚し
自分の人生を歩くこととなった。


最初の一歩は怖かった。

なぜなら、
自分の人生の舵を初めて握ったから…

でも
虐待のトラウマや
夫からのマインドコントロールから
抜け出せたことで自分を取り戻した。




生きづらさを抱えている人に寄り添いたい


離婚し、
自分のために時間を使えるようになったものの、
生活費を稼ぐためにパートでありながら
ワーカーホリック的に働いていた。

そんな生活を続けていた2018年5月、
動脈解離から延髄梗塞になり寝たきりとなった。

これが大きな転機となった。

寝返りも打てないベッドの上で
できることは考えることだけ…

心だけはグレーの世界におかないように、
イメージトレーニングをして
未来を楽しく想像した。

想像するだけでなく、
言葉にすることで、
やがて起き上がり、
立てるようになり、
歩けるようにまで回復した。


ここまで回復できたのは
私には使命があるからではないか?

そんな思いを確信に変えてくれたのが、
お見舞いの方の相談や
病院スタッフの方の相談を受けたことだった。


自分が回復に使ったメソッドを
必要としている方に届けたい!

私の経験を活かしたい!

そんな思いが日に日に強くなり
一度は諦めたセラピストになることを決めた

退院後、
レイキヒーリング、
バッチフラワーレメディセラピストを取得し、
セッションに多様性を持たせた。

私のように
毒親に人生をコントロールされ、
心身の不調を抱え、
一人で苦しんでいる方や
生きづらさを抱えている方に寄り添いたい。


「毒親から解放された私だからこそ」
自分の人生を生きるためのメソッドを
お伝えできる。

 
自分の人生を取り戻したいと願う方に
寄り添いたい。

そう思っています。




どん底を味わったからこそ
あなたに寄り添うことが
出来ます🌱


実践したからこそ
あなたにお伝え出来ます🌱


生きづらさから脱却したからこそ
お伝えできるメソッドが
あります🌱
 


「No!
と言えるようになるセッション」

「思い込みや刷り込みを
手放セッション」

「自分を愛で満たすセッション」


数十種類の中から代表的なメソッドを
セッションメニューにて ご案内していますが
クライアント様のご要望に合わせて
その時に合ったセッションをご提供しています!


必要としている方に届きますように…✨



NLPマスタープラクティショナー
健康生きがいづくりアドバイザー
TCカラーファシリテーター
アドバンスカラーセラピスト
臼井式 レイキヒーラー
バッチフラワーレメディセラピスト
メンタルヘルスマネジメント
認知症家族のマネジメント
認知症サポーター
市民講師(公民館、教育委員会主催の講座などで講義)
共依存者の為の勉強会「心のプラットホーム」主宰


最後までお読み頂き ありがとうございます❤️


ご縁に感謝💕❤️

ありがとう❤️💕