金曜日、本を三冊買った。

うち一冊が農家の人が書いた本。

りんごを栽培している人が表紙に載っていて愛らしくて

まぁじーちゃんなんだけど、

というかじーちゃんだから愛らしいのかもしれないけど、

ともかく気になって中を少し拝見したところ、

無収穫だったすごく辛い時期のことが書いてある箇所で

その愛らしさの裏の真剣さに胸打たれ、と。

で読みたくなって買ってしまった、と。

基本的に所有したくなる性質だから文庫本なら買ってしまう。


ワタクシ、削ぎ落とされた後に残ったであろう姿をしたものに

どう仕様もなく、気を惹かれていまいます。

出来ればこの先そういったものを身に着けていたいし、

作っていきたいし、生活自体、体自体そうありたいです。


で、この本の著者さんは無農薬・無消毒による農法を

実践されている方で、

それが故色々失敗をしてきたようなのですが、

その失敗の中からいくつもの発見をした結果、

本を出すまでに成功?された人なんですが、

その姿ってのが正に削ぎ落としていくっていう感覚に近いようで。

故に尊敬の念を抱いてしまうし、

出来れば違う道でこうありたいと思うわけで。

でもその道を進んできた著者は周囲の人から異端児扱いをされてきて。

つまりは、いつでも人に認められながら自分の思うことを遣り通していくってのは

できないこともあって、それは障害たりえて。


自分を見つめ直さなければならないと思った。


母親の手術が今日あった。

当初の計画の通り手術は行われて、時間も予定とズレはなく、

成功と言えそうだ。

とは言っても術後の経過を注意深く見ていないと

いけない手術で、1・2週間の間に何もなく回復することを祈るばかり。

にしても、今回手術をしてくれた先生はこの種の手術をする医者の中で

日本で三本指に入る名医らしい。

だからなんとなく安心はあった。

人あたりを見ても何だかゆとりがあった。

でもウチの母さんがそんな偉大な先生に面倒みてもらえているのは

すごい巡り合わせを感じずにいられない。

中には先生に手術をしてもらうために待っている人もいるらしい。


手術前の母さんの落ち着きようとかも含めて

母の強さってのを魅せつけられた気がする。


母親が今日入院した。

急に具合が悪くなったというわけでなく、

以前から様子を見ていた腫瘍をこのタイミングで取ろう

という手術を受けるためである。

内臓の手術になる。

食べたもの消化する器官のうちの一つに

手を入れるということ。

昨日までは軽々しく体の悪いところがよくなると考えていたが、

自分の体、その内部に傷を付けることを思うとしんどくなった。

入院して、病院の説明を受けている母親を見ていると

母親が病人に見えてきた。

そこで今後のお金のやりとりの話を母親と看護婦がしているのを見ていると

ビジネスに見えてきた。

当然のことが、それなのに気づけなったことが、

何個か今日はっきり理解できて、

少し動揺している。

目の前にあることがいかに見えていないか。

他人に起きていることがいかに自分のことでないか。