大学一年生の時、本厚木駅構内の箱根そばでバイトしていた。
当時、学生は私と、私と同い年の東海大学生と、どこの大学だったかは忘れたけれど、大学三年生の先輩の三人しかいなかった。
私たちは趣味嗜好がバラバラだったので、特に仲が良いわけではなかったけれど、とりたてて仲が悪くも無かったので、遅番でシフトがかぶると、終電で帰るまで三人でジュースを飲んだり、煙草を吸ったりしながら話して時間を潰すことが多かった。
その夜も、遅番でバイトを終え、駅の外で私と東海大学生はジュースを飲み、先輩は煙草を吸っていた。
ミロードの前の広場ではストリートミュージシャンの女の子がギターの弾き語りをしていた。カバーなのかオリジナルなのか分からないけれど、彼女は声を張り上げて歌っていた。誰も彼女の歌を聴いていなかったし、まばらに歩く人々も彼女に一瞥をくれるだけで誰も立ち止まらなかった。足元に置かれたギターケースには誰かが投げ入れたであろう小銭と、彼女のプロフィールやらホームページやらが書かれているであろう冊子が束になっていた。
「あのストリートミュージシャン、ジュディマリのユキに似てるな」
私が言うと、東海大学生は「確かに」と同意した。先輩は何も言わなかった。
「ナンパする?」と私が軽口を叩くと、東海大学生は「無理」と笑った。
私と東海大学生はしばらくそのストリートミュージシャンをネタに軽口を叩き合った。その間、先輩は黙って煙草を吸っていたけれど、突然、口を開いた。
「俺、ああいうの嫌いなんだ」
そのあまりにはっきりとした物言いに私は驚いた。東海大学生が「どうしてですか」と訊くと、先輩は「ああいう奴等って、音楽で世界を変えられる、とか、平気で言うから」と答えた。
「愛とか恋とか、身の回りの小ちゃいことを歌ってるくせに、音楽には世界を変える力があるとか、デカイことを言うじゃん。それがムカつく。どんな大物のミュージシャンがピースピースって平和を歌っても戦争も民族紛争も無くならないし、爆弾で死ぬ奴も減らねぇんだよ」
先輩は煙草の火を地面に押し付けて消し、私と東海大学生を見た。東海大学生は「そうですね」と同意した。私は先輩から目をそらし、何を言うべきなのか考えた。私は先輩に「それは違います」と言いたかった。けれど、何がどう違うのか説明できなかった。ただ漠然と「そうじゃない」と思うだけで、誰かを納得させられるような意見を持っていなかった。私はそれが悔しかった。「じゃあお前、ああやって誰も聴いてないのにあんなに一生懸命歌うガッツあるのかよ」と言おうとしたけれど、論点が違うな、と思い、黙っていた。それに、私とてさっきまで彼女の歌う姿を見て散々軽口を叩いていたのだ。先輩に対して何を言う資格があるというのか。胸の内側がじりじり焦げていくような気がした。
「そろそろ行くか」
先輩が言った。「お前ら、ナンパするならしてこいよ」
東海大学生は笑って首を横に振った。私も「俺もめんどくさいから帰ります」と笑った。
帰りの電車の中で、私は先輩の言葉について一人で考えてみたけれど、答えが出るわけもなく、バカバカしい、と思って考えることをやめてしまった。

その夜以来、彼女の姿を見ていない。歌うことをやめてしまったのか、歌う場所を変えたのか、分からない。世界は、先輩の言う通り、何も変わらずに回り続けている。残念ながら。

みたいな感じ。