赤面症は恥ずかしいからなるんだけども、恥ずかしいにも種類がある。

 

恐らく、多くの人は間違ったことを人前でしてしまった時に恥ずかしいと感じるのだろう。

 

自分ももちろんそれに当てはまるが、もっと恥ずかしいと感じる時がある。

 

それは真面目な話を、真面目にしている自分に気づいた時。

 

お酒を飲んで大言壮語を吐いている時は、自分を客観的に見る気なんて毛頭ないので

 

真面目な話を真面目にしていても恥ずかしくはない(間違いなく顔は真っ赤ですが)。

 

そう考えると、正確に言えば、素面の時に、真面目な話を真面目にしている時となるだろうか。

 

真面目に何かをするというのは、恥ずかしがることではないというのは頭ではわかっている。

 

思春期でもないのに、いい加減にしたらいいのに。

 

しかし恥ずかしいのだ。

 

これはいつからだろうか。思春期だから中高生だろうか。

 

いや小学校の低学年だ。今でも鮮明に覚えている。

 

運動会のダンスで、真面目に踊らず先生にこっぴどく叱られたことを。

 

真面目に踊っている自分に気づいた時、妙にむずがゆくなり、恥ずかしくなった。

 

周りの友人たちは皆、真面目に踊っていたような気がする。

 

いや、私と同じようにみんな恥ずかしかったのだろうか。

 

今考えると何も恥ずかしがることではないのに、どうしてだったのだろうか。

 

小学生の低学年からこんな感じだったら、根が深い。

 

頭ではわかっているのだ。

 

 

結局のところ自分を客観的に見えていないのだろう。未だに。

 

見ているつもりだが、自分が客観だと思っている視点には

 

自分がぴったりとくっついて離れられない。

 

「真面目にやることは恥ずかしいこと」という体に染みついたものを、取り去るのは難しそうだ。

 

いっそ、ほんとにどうでもいいことを真面目にやることで、

 

今まで恥ずかしかった真面目なことを、普通だと思えるようにすることぐらいしか、

 

この状況を抜け出せない気がする。