再びサラリーマンを経験することになってしまったのだが、焦りはなかった。自分の中で、これからどうしていくのかが明確だったからだ。




IT系の上場企業だったので、以前に勤めた情報通信事業のベンチャー企業とは全く規模が違った。従業員は1000人を超える。何もかもが新鮮だった。




この会社は初日から、東京にある研修施設にいく必要があった。全国の事業所から集まった新人と共に、約2週間の研修があった。ご飯も宿泊もすべてついていて、すべて無料。研修は、職級が上がるたびにも受けることとなる。




そこには研修専門のスタッフが多くいて、新人研修では営業のすべてを教えてくれる。私が今まであまり学んでこなかった、ビジネスマナーなど様々な面を勉強できた。また私の場合は、研修の仕方なども勉強できたので一石二鳥だった。「こんな研修を受けて、給与がもらえるなんてラッキー」と感じた。




そして2週間の研修が終わり、さっそく私が勤める関西支店に戻った。同じ事業部には34歳のサブマネージャーを筆頭に、5人の先輩がいた。全員30代で、22歳の私はかなり若く映ったと思う。それでも「私には目標があってここに来ているから、この人達に負けるわけにはいかない。」と思った。




この企業は完全実力主義なので、すべてストレートで昇格していけば、




→3カ月で研修終了


→3カ月でリーダー


→3カ月で主任


→6カ月でサブマネージャー


→6カ月でマネージャー




という形で、2年以内でマネージャーに昇格することも可能ということだった。




サブマネージャーまでいけば、営業部門の組織の勉強だけでなく、財務部門や研修部門・管理部門の研修も受けれるということだった。私はそれが凄い魅力だった。




ちょうどその頃「東京本社の営業担当者が、史上最年少26歳でマネージャーに昇格!」という社内システム内の記事に出ていた。それが関西支社でもすごく話題になった。




私は決めた。「最年少記録を大幅に更新する。」私はまだ22歳だったので、ストレートでいけば24歳でマネージャーになれる計算だ。そこを目指した。




正直にいうと、この上場企業の研修は素晴らしいが、営業力は以前にいたベンチャー企業のほうが数倍上だった。研修を生かしきれていなかった理由は、現場に優秀なマネージャーを配置できていなかったことに尽きると思う。私がいた関西に限っては、優秀なマネージャーはいたけど・・・



しかしながら1ヶ月目から遠慮なく関西支店の同事業部の先輩を差し置いて、1位を獲得した。「負けるわけにはいかない」という気持ちだけだった。




1ヶ月目で先輩達の目が「若い子」から「トップセールスマン」に変わったのがわかった。私に対して教えてくることがほとんどなくなったのだ。




そんなことは気にしない私は、2ヶ月目から早くも全国トップクラスの営業担当になった。そんな好調な船出だった。








【第3章 2話に続く】




なかなか好調なスタートだったのだが、2ヶ月目くらいから落とし穴が待っていた。




それは『自分』という名の落とし穴。自宅兼事務所で一人で働いていたので、ダラけてきてしまったのだ。




朝起きなくても誰にも怒られないし、誰もいないからすべてマイペースでやれる。だらけだした最初のほうは、昼12時に起きるようになり午後しか働かなくなった。そのあとはもっとひどくなり、昼に起きて遊んだりして働かない日も多くなっていった。




これは『人間の弱さ』でもなんでもなく、若い私の甘さだった。




まず、完全独立したきっかけが問題だった。「もっとお金が欲しい」のと「セルシオがほしい」だけだったことが大きなあだになった。ある程度のキャッシュとセルシオを手にしたら、目標を見失った。また個人事業のままにしていたことも問題だ。独立するなら、踏ん切りをつけて法人を設立するべきだった。




お金や高級車を持ちたいという理由だけで起業するならやめておいたほうがいいだろう。「have」の目標は手にしたら満足してしまう。企業するなら「be」の目標を持つべきだと私は思う。




話は戻るが、そのようにどんどんダラけた私は、さすがに「このままではいけない」と思ってきた。




本当に自分がやりたいことは何なのか?




そのときに、「自分でイチから企業を作りあげ、みんなが知っているナンバーワンになりたい。生きてる証を残したい。」と思った。今思えば幼稚で恥ずかしい考えだけど、こんな感じで熱ければよしとしよう。




そうやって新たな目標をたてた私は、様々な企業のホームページを見て、理念や事業内容そして決算書を見るようにした。もちろんどうやって見るかなんてわからないので、とりあえず本を読んだ。




思った以上に、成功している企業に近づくにはやることがいっぱいありすぎた。




何よりも、「会社が成長していくと自分が営業をまわることはできなくなるだろうし、営業部門の組織化が大事だ」と当時は感じた。




だから研修や組織を学びたいと考えた。以前はベンチャー企業に勤めていて、研修なんてほとんどなかったし、組織も社長・部長・残りは平社員という、あまり考えたものではなく、勉強にもならなかった。




そこで私は、2年間勉強する意味を込めて、研修と研修施設が日本屈指と言われた上場企業に就職することにした。運よく、新事業の立ち上げで中途採用を大量募集していた。


しかしこれは凄く勇気のいる決断だった。




このとき平成20年。22歳の春。




ちなみに廃業はせず、個人事業は休業とした。










第3章に続く




完全独立して、固定電話サービスの代理店をいよいよ開始した。


サラリーマン時代と同じように、テレアポをして訪問するという形をとった。


同じことをするだけなので、同じようにテレアポがとれて、営業もとれた。テレアポは根気強くすれば誰でもとれるものだ。


毎日、朝の10時に開始し13時までテレアポ。1時間休憩し、14時から18時までで訪問というスケジュール。1日3件ほど契約がとれた。1日の売上は約10万円。


初月は220万円の売上で、利益が200万円程でた。上々のスタートだ。


固定電話サービスの代理店は、仕入れに一切お金がかからないので、かかる経費は、交通費・電話代・雑費・家賃(5万円)を合わせて20万円ほどですんでいた。


なお、完全に独立してからは、ひとり暮らしをしていた部屋を事務所としていたので、家賃は経費で落としていた。


しかし自宅兼事務所であること、一人で活動していることが落とし穴だった。




2章 3話に続く



いよいよ、完全に独立したわけだが、法人設立はまだしなかった。900万円以上の利益が出るときに、法人成りすればいいと思ったからだ。



副業でやってきた求人広告をやめ、固定電話サービスの代理店事業がやりたくなった。もともと本業とごちゃまぜにしたくなかった為にやらなかったが、他にも良いと思った理由が2つあった。




・マーケット規模の違い




・獲得キャパの違い




求人広告は折込チラシのため、大阪府内の2つの市意外は営業ができなくて、マーケットが狭かった。固定電話の代理店は、全国の法人相手に営業できるわけだから、大きな違いがあった。




そして、求人広告チラシは枠数(=獲得キャパシティ)が決まっていたため、それを達成すると営業できなくなってしまうという難点があった。






そういう理由で、当初一番やりたかった、




固定電話サービスの代理店事業をメインにした。




私は、検索サイトで「固定電話サービス 代理店募集」と調べ、何番目かに出てきた広島の企業にアポをとり、当日に大阪から車で向かった。そしてその日に代理店契約をしてもらった。




サラリーマン時代にやっていた商材を取り扱えることとなったが、1契約あたりに貰える金額は35,000円だった。




少なく感じたが、とりあえずはこれでいこう!と自分に言い聞かせ、1週間後からその事業を開始することになった。結果を出していけば貰える金額は自然と上がっていくもの。まず早くスタートすることが大事。








2章 2話 に続く











無事に求人広告での挑戦が決まった。




本業が休みである土日祝に営業していく必要がある。広告折り込み地域を2つの市に限定していたので、営業はまわりやすかった。自転車で回ったので、交通費がかからなかった。




広告枠の値段はサイズによって違ってくるが、この地域では1枠25,000円~100,000円が相場だった。そこを1枠12,000円~52,500円で販売した。




チラシの表裏でだいたい30枠。全部売れると、約70万円の売り上げになる。




かかるコストは毎月、


・チラシ印刷&新聞折り込み→15万円


・ネット&電話代→2万円




それくらいだったので、十分利益は出せる計算になる。人件費と交通費は一切かからないし、広告のレイアウトは自分でしていたから、コスト削減が可能になった。(レイアウトはまったくの素人だったので、本を見ながら広告をワードで作った。)




まずは、テレアポでの獲得を狙った。




「現在求人募集をしておられるのでしたら、1度お話を聞いてください。新聞折り込み求人チラシを6万部いれています。いらなければモチロンその場で断っていただいて結構です。」というと、聞いてくれるお店さんが多かった。これは本業でのテレアポの経験が非常に大きかった。




そこから訪問すると、「個人事業では取引できない。」や「レイアウトが良くない。」という断りが多かったが、それでも2~3件に1件は契約をもらえた。1日最低3件の契約を達成していった。




初めての契約・入金は今でも忘れられない。地元の焼肉店で、契約金額は12,000円。




1度目の発行は片面15枠のみだったが、2度目以降は両面30枠すべて埋めることができた。定価からの値引きも少し行ったので、月商は60万円ほど、利益は40万円ほどだったが、事業を自分でやっていく自信になった。




そして、本業(会社員)を辞め、完全に独立することを決意した。




この時、平成18年。21歳。











※第1章終わり※


第2章 1話 に続く