あと二日ばかり残して、さっさと今年をこんな夜中に振り返ってみる。

今年は三月まで、杉並区にある某アパレルブランドの会社にいて、Tシャツのプリント作業と、プリントのグラフィックデザイナーとして働いていた。
まー上は、家族経営者だし、かなり危うい会社で、年齢としては喉から手が出るほど欲しい、正社員とかどうなの?って言葉をもらいながらも、この会社に長くいても、後々なにかあっても手詰まりが起きそうだし、いつ精神が崩壊してもおかしくなさそうな雰囲気から、三月いっぱいで辞めた。

それなりに知名度もあるブランドだが、会社も小さく、経営もかなりぐらついていたし、人間性も微妙なところで、僕は半年しかいなかったが、十人ちょいとしかいない正社員が、五人ほど辞めたのでした。

そして、そんな最中にあの地震。

尋常じゃないくらいの揺れを体感し、あー遂に来たかと。

それでも、地域に避難の放送が流れても、会社は仕事をしつづけ、誰が指揮をとるわけでもなく、皆疑問に思いながらも、夜まで仕事し、気付けば電車もなく、会長が『帰れないなら、朝まで飲み明かそう』とかいい、それを内心、絶対嫌だ!と思った僕は、同じ会社の先輩宅に泊まる為、渋谷まで歩いたり、奇跡的に捕まえたタクシーで四時間かけて移動。

先輩宅についても、揺れは度々起こり眠れず。

次の日も、土曜日ながら仕事だったが、朝動き出した電車で、家に帰り、とにかく家族の顔見て、職場に電話。
なんとか、休めたが、改めて会社の人としての考え形を疑った。

四月から十月は、WEBデザインを学ぶため、学校に通った。

やはり、年齢を重ねてから勉強をするのは、身が引き締まる。
強制的にやらされるというより、学ぼうと思う気持ちが強く、集中できた。

しかしながら、バイトもはじめたが、学生と同じような出勤形態だったため、常に金欠。
年下のスタッフと仲良くなれたのは、とてもよかったし、そういった意味で、このバイトは好きな仕事だった。

十一月から十二月は、バイトしながら就活。

正社員内定一つもらったが、仕事内容が、ブラックな雰囲気プンプンで、流石に断わった。

中々受からず、バイトも受け一つ受かったのだが、社員登用ありにもかかわらず、親会社の社員になるということになり、デザインとはまったく関係ない仕事をすることになり、専門知識を一から身につけることになるということで、かなり迷いに迷い、断念した。

そして、来月から行くバイトになんとか受かり現在に至る。





一年、細かくみたら様々なことや、もう忘れてしまったこともたくさんあるが、ザックリするとこんな感じだ。

なんか、あまり成し遂げた感がない(; ̄O ̄)


けど、プラスになるように動こうとはしていたはずた。


果たして、いつかはプラスになったなぁと思えるのか?


つねにある焦りが、行動を起こしているのは間違いないかわ、もう少し、ゆとりのある考え方、行動ができたらなぁとは思う。


計画性がない性格上難しいが...。


とにかく、来年も色々波乱はあるが、挑む姿勢は変えられないだろう。


幸せになりたい。



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