闘病記

難病と言われるシャイ・ドレーガー症候群と闘うきさの闘病記。

著書「もう一度ドラと歩きたい」が現在発売中。


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母からのメッセージ、母へのメッセージ

2003年に母が書きためておいた、いつか来るであろう日のために、われわれに書いたメッセージを読みました。
今ここでそれを書いておきたいと思います。。。


    何年か先の紀佐のための葬送曲のページ

書きたくないけど書けなくなる日が来るから、何年か先か分からんけど、おとうさん、ゆか、けいた、ひろみ、おかあちゃん ありがとう。ちふみ、みゆき父さんはいなくなったけど、がんばれよ。

けいたには生まれた時からずいぶん楽しく過ごさせてもらった。姉ちゃんたちが学校に行った間に動物園もよく行ったね。生協の旅行も失敗もあったけど楽しかった。大内山、沖縄はみゆきも一緒だったね。母さん達の水着姿でテレビに出た時のビデをもあるよね。米子も萩も行ったよね。鍾乳洞も入ったよね。母さん思い出たくさんあるよ。
 中学の百人一首大会はよく頑張ったね。学校の学級委員も運動会も、浪速高校でチッチと知り合いになれたこともお母さんの財産だよ。

ゆか、あきらとはるかは素直で優しくて大物になるように、あきらに大物になるんだよって言ったらパン屋さんになるんだって。素直で優しい子、思いやりがあって、普通に社会生活できる子になるんだよ。いつでも山あり谷ありだから焦っちゃだめ。息抜きが大切。

母さん(私)は10~15年間ほど忙しくしすぎた。ええ加減をバカにしたけどええ加減ぐらいがちょうどいい。その間に悩み一人抱えていた。おせちも、おせちを作ることも12月にきちんと掃除毎年してきた。塩分の少ない食事しすぎた。風呂暑いのはいりすぎた。
 ドラのせいじゃないけど、ドラが来てからますます時間がなくなったけど用事よくなった。ドラはうちでしか生きられない子。お父さん最後まで面倒見てやって。

14年の耳原の入院以来片付けたいもの一杯ある。床の間の仏壇だった中には古いものたくさんある。ちょうちん、カイロ、ハカリ、ずっとためているコヨミ(←これは死んだじいちゃんに教えてもらった。)1Fの寝てた母さんのものいっぱいの所に続きある。1Fのミズヤに母さんの資料詰まっている。

けいた新しい服買うのはいいけど、古いいらないものは捨てようよ。母さんしんどくなってから体しんどくて片づけしないけど、今日のことは今日しようよ。片付けて捨てるものいっぱいある。何でも取っておくのはゴミになって家を狭くするだけ。迷ったら捨ててしまいなよ。父さん今まで自分でしなかって私に聞いてたこと、自分でせなあかんで。

ベルナ、ひろみとのニュージーランドのメールは本にしてまとめるつもりだった。きさのいろんな資料、HPの闘病記からこのノートは、ゆかまとめて、本を作りませんか?というところに相談して活字になって、みんなに読んでもらえたらいいな。

自分でしたいと思ってた母さんの夢ついでおくれ。

としのぶ、ちふみごめんよ。母ちゃんのことすごく気がかりだよ。ほんとにほんとにごめんよ。みっちゃん、母ちゃんのこといまさら変だけど、ちふみと仲良く頼む。たった三人の兄弟だし、としのぶとももっと仲良くしとけばよかったと思うよ。まさひと君もたかひろ君もほんとにいい青年になったね。ちふみには感謝してるよ。入院のとき洗濯まで頼んでしまって、その上いっぱい買ってきてくれてありがとう。

池田さん、けいたの相談にのってやっておくれ。お父さんも何も知らない人なので、いろいろ教えてやって。特に自分から言う人たちじゃないし、床もまだ知らないことがいっぱいある。いつもアドバイスしてやって。家族のように。お願いします。

お母ちゃん、おかあちゃんにはなんにでも感謝の気持ちを教えてもらった。何にでもありがたいと思う心。わかってても私はグチる方が多かった。

もしくたばってももう泣くな。いつも前向いて生きようよ。

これを書いたらおかあさんふんぎりつけてこの病気と共存することばかり、治ることばかり考えよう。神経は自分のものだし、病気を治すのは自分しかいないんだから。
 心と体が遊離してしまって一年、さらに分離しそうだけど、しんどい時は治ると信じて
         負けてたまるか
         あきらめたらあかん
         病気治すのは自分しかいない
 ってがんばるよ。頑張るしか他にすることないやないか。 


      けいたからへの母へメッセージ

「けいたはおかんにいろんな事を学ばせてもらったりいろんな事経験させてくれたよ。感謝する気持ち、物事の成り立ち方、勉強の仕方、リンゴのむき方、スポーツできるようになったのも運動が得意なおかんのおかげやよな。あといっぱいあるし、わかれへんわ。
 旅行はおかんが書いてあったとおり、いっぱい連れていってもらったし、外国にも行かせてもらったし、今思えば、すごく大事にされてたんやなぁ、めっちゃ面倒見てくれてたよなぁって思うよ。
 
そんな事を改めて思い出して考えると、絶対泣いてまうわ。あかんと思ってても、今はまだ泣いてしまうわ。でもあかんのよな。だってさっき言うてたやん。

 もしくたばっても もうなくな いつも前向いて生きようよ

お母さん、あなたは偉大な人ですよ。いなくなっても僕にこうやって教えてくれるんですか。でも大丈夫やよ、俺ももう24になったんやで。いくぶん強くもなったし、昔とちがうんやから。時間がたてば慣れてくるし、ちゃんとやっていくよ。
 
たとえどんなけ時間がたってもおかんが僕にしてきてくれたこと、存在、絶対忘れへんで。この先なにかにぶつかった時、おかんが残した言葉みて励みにするな。

いつか入院中に笑い半分で生んでくれてありがとうって言った事あるよなぁ。そんな時おかんは笑いながら泣いていたよね。今思えば、なんでもっと真剣に言えへんかったんやろうって思うけど、恥ずかしくて言われへんかったわ。でもそれはほんまに思ってるからやねんで。俺はおかんの子供でほんまによかったと思ってるよ。どんなけありがとうって言っても感謝しきられへんくらい。素直じゃなくてごめんな。でも今なら言えるから、言ってもいいかな・・・。

お母さん、生んでくれてありがとう。俺はあなたの子供に生まれてきた事を誇りに思うし、幸せやわ。どんな形であれ、お母さんは俺の胸の中で存在し続けているから、これからもよろしくやで。

5-26


代筆 けい

本日の早朝に母が亡くなりました。

今日をもちましてこの日記も終わりとなります。

5-25


代筆 けい

熱が38度以上あり、昼間は血圧も低く座薬を入れることができなかった。夜になると血圧も落ち着き、座薬をいれたのでそろそろ熱が下がる頃ではあるが、薬のせいかいなかはわからないが、母はよく眠る。おとついあたりから痰も少なくないので、肺炎かもしれないと危惧している。レントゲンを撮っていないのでわからないが、近々撮っていただきたいものである。現在も首からの栄養は取らず、以前肺炎の時にしていたような軽い栄養を手の所から摂取している状態である。これでは十分な栄養分を摂取できない。

早くよくなって欲しいと切実に思う。つい先月の事なのに、会話していた事がすごく前のような事に気がしてならない、懐かしくさえ思われる。というより、もっと話しておくべき事がなかったのかとか、聞いておかなければならない事があったんじゃないかとか、正直後悔している。この事に関して言えば後悔せざるをえない事なのかもしれない。つまり、僕のしている事が親孝行と言う事ができるのなら、それには後悔という言葉がついてまわることの様に思う。

何気ない、くだらない日常を思い出す。そういう時間こそ案外貴重なもののかもしれない。

5-24

けいの来る・・・。いけへん。増えへん。聞こえへん。諦めたらあかん。音が聞こえる。なんか変。愛の事を書く。

5-23

代筆 けい


熱がありほとんど声が出ない。出てもそれは言葉と言うものとは程遠いものである。先日首の大静脈のところから栄養を入れている管のまわりが赤くなっていたらしく、消毒したらしい。そのせいかいなかはわからないが、今日は微熱以上の熱があり、血圧は低い。

5-22

今日は朝早くに思い出を作る。あけてみる。ゆかが来た。昼からけいが来た。髪の毛を切った。

5-21

今日は天気は晴れ。もうすぐ来る。頭に帽子かぶらない。先に電話かける。言葉が分かるうちにかかってくる。家に一人でおる。たいした事はない。いける。歩いてくる。怖い人が歩いてくる。だからお前のとこにいたらあかん。お前は・・・あかん。お月さんを見る。一番見えるお月さんはかくれるある。だからお月さんが見たいと思う。今はいてるけど、僕の代わりの・・・。

5-20

今日はえらい事がある。昼に妹と母とガーベラが来た。(この言葉の後寝てしまった。)

5-19

今日やっとひろが来た。昨日の夜怒られた。分かる。何かあると言った。けいに全部の・・・。はよ帰れ、かよ帰れって寝ぇ。おやすみ。

5-18

ここにはない今の・・・。もういい、やめる。昨日して今の・・・。ナースコールはある。ここはあのへんの・・・。
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