出産の日
朝食を食べて促進剤の点滴をはじめた。
少しずつはじめて量を増やしていく。
午前中は張りも弱く旦那さんといろいろ話してた。
第二子の名前はなにくんにしようか?とかも。
昇くんの弟?もう弟って決まってるの?
妹だったら〜?とか(笑)
まだ産まれてもいないのに、なんだか穏やかな時間だったように思う。
助産師さんが折り紙持って来てくれて、赤ちゃんのために折りませんか?って。
旦那さんは折り紙とかとっても苦手だけど一緒に折ってくれた。
お昼ご飯を食べて午後のワイドショーを観ていたら少しずつ腰やお腹らへんが痛くなってきた。
陣痛の波があったと思うけど、ずっと痛くて旦那さんにずーっと腰をさすってもらっていた。
私は痛くて痛くて頭がボーッとしていた。
でもなんか、世の中には病気で戦ってて痛い思いしてる子どももいるんだろうな。私にはゴールがあるんだから耐えられる。
そんな風に思ってた。
今考えてみるとすごく不思議だけど、
産まれてくる子は亡くなってるのに
なんでこんなに辛い陣痛に耐えなきゃいけないんだろ?とはまったく思わなかった。
頑張って産むぞ!って気合いが入ってた。
一昨日までは陣痛が怖いとしか思ってなかったのに。。。
なんであんなに怖がっていたのかもわからない。
5時くらいに分娩室に移動した。
陣痛の波もよくわからないくらい痛いのに歩いて分娩室へ・・・行けるの?と思いながら体を起こしたら、歩けた。
分娩室のベッドに乗ったら陣痛の波が2〜3分おきな感じで来ていた。
分娩室でも横向きで寝ていて、陣痛が来たときは旦那さんに腰をさすってもらいながら全力でいきんでいた。
陣痛の合間は気を失ってた?いや寝てた?って感じで、陣痛の痛みで起きていきむの繰り返し。
何百回も繰り返しいきんでもう何が何だかわからなかった。
ひたすら腰をさすってくれる旦那さん、陣痛のたびに私の足を持ち上げて肛門を押さえてくれる先生(←分娩室では助産師さんじゃなくて先生がずっと対応してくれた)、ずっとずっとみんなでいきんでる感じだった。
いきみ続けて4時間くらい?「次で産まれるよ〜」って先生が教えてくれて、私はようやく分娩体勢の前向きになっていきんだらようやくじゅるじゅるーって産まれた。
産声はあげない。
ずーっと付き添って腰をさすってくれた旦那さん、分娩室入ってからずっと陣痛の対応してくれてた先生、助産師さん(シフトで途中から変わったけど)みんな泣いてた。
なのに私はなんか笑顔。
やっと終わってホッとした感じ?
すでに陣痛の痛みがどんなんだったかわからなくなってしまってた。
そして、昇くんだっこ‼️
かわいい‼️
こんな大きい子入ってたのね。
よくあばれてたよね。
エコーではいつもお顔みせてくれなかったけど、おメメ大きいね👀
おてても大きい🤚
っていうか手が大きいのも第二関節から下がブヨってしてるのも私そっくり(笑)
たくさん写真を撮った。
旦那さんも私も笑顔で家族写真たくさん撮った。
普通なら赤ちゃんの意思で出てこようとするからもっとスムーズに産まれるのかな?
だとしたら私は昇くんの意思が無かったのに安産な方だったのかもな。
でもオマタは切らなかったし裂けもしなかったしママ想いの昇くんでした。
亡くなってたけどキレイなお顔、キレイな体でした。
本当にかわいい。
自分の子がこんなにかわいいと思わなかった。
そして、すごく幸せな気持ちだった。
ホント不思議。
すごい幸せ。
セロトニンなの?
いろいろなことを考えた。
とっても幸せなお産だったなぁって。
ずーっとさすってくれてた旦那さん、ホント頑張ってくれた。
この人の奥さん良かった〜って思った。
この病院で出産できて良かったーって。
あとはなぜか小林麻央さんのこと。
知り合いでも何でもないけど、闘病してるのを応援してたし良くなると思ってた。
麻央さんの辛さ、れいかちゃんカンカンの辛さを思えば、私は乗り越えられるよねって。
辛さって比べることはできないと思うけど、なぜかそんなこと考えてた。
あと私の命。
早期胎盤剥離とか私の命に関わる出産もあったかもしれない。
でも母体にはなにも問題は起きなかった。
昇くんが守ってくれた私の命だと思った。
処置も終わり、昇くんは預けてお部屋に戻った。
出血が多かったとのことで車椅子で。
旦那さんといろいろなことを話した。
オマタが痛いことも、あと何人産めるかなーとか。
旦那さんも病室に泊まってくれて、私は睡眠導入剤をもらい眠りについた。