ハートハートハートハートハートハートハートハートハートハートハートハートハート



あのとき精一杯だったから

もう自分を責めないでね


ここに真実がちゃんとあるから

今ここに私が生きてることが真実

あなたと私の物語は美しいし

愛がたくさん詰まってる


私は6歳年長になり

幼稚園に行けなくなった


行きたくないと私が拒否したからではなく

ドクターストップがかかった


初めて、頬を平手打ちされたのは

親でも身内でもなく

幼稚園の園長先生でした


それは衝撃的だった


いつも幼稚園で泣いていて

昔の写真を見ると、6歳の私の顔は

いつも悲しい顔をしていた


何に怒られているかわからず

何に私が反応しているかわからず

ただ泣いていた日々

廊下にずっと立っていて

部屋に入る時は、お弁当の時間か

写真を撮る時間、、


ひたすら泣きじゃくり

トイレに行きたいという声も

出せずに失禁していた

そしてまた怒られ泣く


幼稚園とか保育園の思い出とかって

楽しい思い出ばかりなはずなのに

私の記憶の中では悲しい思い出として

残っていた


さらに、追い討ちをかけるように

ある日

私が嘘をついていると叱責された


私自身身に覚えのない出来事だった


なんでウソをつくの?と

周りから言われた


そして両親すら

正直にウソをついているなら

言いなさい。

と私に言った


6歳の私は

あー、もうだれも私の話を聞いてくれないし

信じてくれないんだと心を閉ざした

とっても悲しかった

悲しくて悲しくてたまらなかった


ある日、母親と園長先生の

話し合いがあった


その時に園長先生が言った

言葉を母はいまだに忘れずにいる


「この子は将来、どんな恐ろしい子になるか

わかりません」


ずっと泣いていて幼稚園生活は

辛いはずなのに私は母に

幼稚園に行きたくない。と

言わず、ずっと登園し続けた


この時から私は頑張り癖を

発揮してた子供...


その結果

私は食べ物を受け付けなくなった

食べようとすると吐いてしまう

おそらく、拒食症、、


肉や魚にアレルギー反応がでて

アトピーにもなった


身体に拒否反応が出た私連れて

母は私を病院に連れていった


その時の先生に言われたのは


「お母さん、もうこれ以上幼稚園に

 登園させるのはやめて下さい」


この言葉を聞き

母は私を登園させることをやめた


卒園式には出たけど

幼稚園に楽しい思い出がなくて

私と母にとっては辛い出来事に

なってしまった


それから、私は小学校に入学した


幸運にも一年生の担任の先生が

すごく親身な先生で

私は学校生活が楽しいものとなった


母も担任の先生に幼稚園の時に

話をしたらしく

その時に言われた言葉が

「お母さん、子供にはそうゆう時期が

 あるものです。あったからといって

 ずっと続くものではないです。

 安心して下さい。

 さわこちゃんは今たくさん笑って

 過ごしてますよ」


本当にその通りで

小学校に入学したら

ウソのように学校生活が楽しくなり

給食もたくさん食べる子になっていた


やっぱり

周りの環境や人でガラリと変わるもの


母と私の悲しい記憶がありつつ

高校生になった私


私が選択した進学先は

保育士が取れる学校でした


そして母は大反対した


あなたにその仕事は出来るはずない

って


それは、母があのとき感じた

悲しみとかいろんな感情が

思い返されてしまったせいかもしれない


私は頑なに

その学校に私は行きたいの!

この学校受からなかったら

浪人するから。と反対を押し切り

その学校を受験した


県外の学校でしたが

たくさんある学校の中で

どうしても行きたかった


そして無事に合格して

その学校に入学しました


それから1年後...


ある日、同窓会のお知らせの手紙が

届きました


その送り主の名前を見てびっくりした


それは幼稚園の園長先生の名前だったから...


私がどうして行きたい!と言った

学校は、園長先生も卒業した

学校でした


数ある学校の中で

一緒の学校だったなんて


手紙には同窓会の案内しかなく

園長先生のメッセージとか

なかったけど、園長先生もびっくり

しただろうな...


そしてね、

私は16年保育士をしていたんだけど

同じ子供と関わる仕事する中で

あー、あのとき園長先生も

しんどかったんだろうなぁ、、

とか、どこにも吐き出せる場所が

なかったんだろうなぁ、、


って、


それと同時に

母も気難しい私に対して

どうすることもできなくて

1人頑張りすぎてたんだろうな

誰か相談できる人がいたら

きっと楽になっていたのかな


あの時の私へ

たくさん頑張りすぎてたね

あの時の悲しい目を見た時に

私はあなたを抱きしめてあげたい

そして、私だけはあなたのことを

信じるからね。

って伝えてたい


あのとき園長先生が母に伝えた

「この子はどんな恐ろしい子になるか

わかりません」


この質問に答えるとしたら


あー、まじでめっちゃ

変わってる子かもしれないけど

めちゃくちゃ、人の気持ちに寄り添える

人になりました

あのときと変わらずよく泣きます

感受性豊かになりました


あのとき流した涙も意味があるし

私が経験した出来事も

大切なギフトだなと思う

園長先生と同じ学校とか

運命の赤い糸か!?と

思ってしまうw


それさえも大切な事に気づく

ギフトなんだと思う


人に寄り添い続けたいって

思うのも

たくさん、心が動く経験をしたから。


それがなければ

今の私はいない


あのときの私を責めるかもしれない

あのときの母は自分を責めているかも

しれない

自分の子育ての仕方を責めたりしている

かもしれない


あのとき、あなたは精一杯だったから

もう自分を責めないでね


ここに真実がちゃんとあるから

今ここに私が生きてることが真実

愛がたくさん詰まってるから♡


私にも母にも園長先生にも

伝えたい


だって、何一つ恐ろし子には

なってない


ただ、人生の前半はハードモードな

人生だったけどw


私は今穏やかに人生をいきている


あなたにも穏やかな人生を

共に過ごしてほしいなと思う