叱らない育児はしない
私は言葉がきつい。
上品さの欠片もない。
外で幼子を連れているお母さんを見て
母親とはこんなに優しく喋るものなのかと
毎度感心している。
そして子供とはこんなに優しく諌められただけでも
大泣きしてしまうものなのかと。
「叱らない育児」が流行り出した頃。
広く大きな心を持てなかった私にはできなかった。
それに、叱って何が悪いのか
子供を認めて自己肯定感を育む事は
叱らない事とは関係ないだろうと思っていた。
子供のする事だからと甘やかさない事
それが後に人様に迷惑をかけずに
まっとうに生きて行く事
ひいてはいつか子供たちが親と離れて歩む道を守る事に繋がると思っていた。
赤ちゃんの頃から
駄目なものは駄目、悪い事は悪いと
それがたとえどんな子供でも
必ずするようなイタズラだったとしても、叱った。
それをしたら何が起こるのか
何かが起こったらどうなるのかをしつこく説いた。
(伝わっているかは別として)
しかも最初に書いた通りかなり強い言葉や態度とともに。
良くも悪くも
我が家の子供たちは荒々しい言葉には慣れている。
もっと穏やかな母だったら
子供たちはもっと自由に楽に生きられたと思う。
でも少しずつ外の世界に出て
いろいろな人と関わるようになった時
誰かの言葉に必要以上に傷ついたりはしない耐性が備わっているのではないかと
都合良く考えてみたり。
叱らない育児を
選ばなかった(選べなかった)私には
向こうの道を選んだ先に
何があるのかを知る由はない。
毎日が選択の連続で
分岐の連続で
人生はマルチエンディング。(元ゲーマー)
たったひとつのtrueENDとか、きっと無い。
無いけど、道半ばまでは
私の責任で
子供たちの分岐を選ばなければならない。
その責任の重さに押し潰されそうになるけれど
どうか
子供たちの行く先が
たどり着くENDが
明るく優しいものであるように。