人を助けたいと思いが強いと、助けなくてはならない人を作り出す(引き寄せる)


人を助けたい役に立ちたい、その思いは誰でも持ってると思う。


どうせなら

お互いに助け合えて成長しあい、そしてそれを共有しその素晴らしさを分かち合える人を自分の周りに置きたい。


ただ闇雲に

人を助けたい、救いたいと願うよりも


どんな人だったら助けたいと思う?

どんな人なら助けられると思う?

助けた後、その人にどうなってもらいたいと願う?自律(自立)し前を見て進んでほしい?

それとも依存されて常にトラブルに巻き込まれたい?


助けたい だけなら 助けられるけど

助けたことによって依存され、付きまとわれ、その都度足を引っ張られ、ドラマに巻き込まれて常に振り回されて疲弊する…

なんてことも起こる。


あんまり良い気はしない、問題を作り上げ助けなければならない人を作り出し続けてしまう。


大切なのは助ける相手を選ぶこと。

ただ依存したいだけの人、他人に自分の人生の舵をとって行き先を決めてもらいたい人…


人に何かを決めてもらうことは楽ですが

同時に、他人が決めた他人の人生を『自分の意思』に関係なく生きることになる。


それって、とても苦しいんです。

(自分の意思や考えを持たず言いなりになる、奴隷、絶対服従の状態でシータヒーリングでいうと過去世や前世などのどこかで何らかの契約をしていたりする場合もあります)


人に何かを決めてもらうと言うことは、とても楽であるけど、自分の人生への責任を放棄することでもあります。

自分の人生の責任は自分にある

『責任(自己責任)』という言葉に気持ちが重くなったり苦しくなったりする場合、恐らくネガティブな思い込みがそこにあるという事だと思います。

私も嫌悪感を持ってました…(笑)

責任の全てを背負うとか、果たせなかったら苦しくなるとかまぁ色々と。

責任に対する定義と観点が創造主の定義と観点からズレまくってたのもあるんですが…

とある方は、自己責任を『自由』と捉えていてとてもビックリしたのを覚えてます。


さて

どれを選択しどの様に生きるか?どの様になっていきたいのか?を決める権利、『自由意志』があります。


…まぁ…他人に人生を決めてもらってその道を進む!って選んでも勿論、良いと思います。

それも『自由意志』

他人に人生(舵)を取ってもらうという選択をした自分への責任は自分で持てる!と断言するならば何も言うことはないけども…。


もし苦しくてどうしようもないなら

生き方を変えても何の問題もないんです。

最初は分からなくても、今のままでは嫌だと思うならば

今、それを変える最高最善のタイミングだということ。

苦しい胸の内を知り

『自分』は『こう思った』『こう感じた』

自分の中では『〇〇な気持ちがあった』

と、ただ向き合うだけ。

まずは『ある』ことにフォーカスしてあげるだけで充分かなと思ってます。

自分はダメだ!と自分を責めたくなるけども!!(笑)


責めたい自分が『いる』ことを認識する。だけを私は繰り返し、自分『が』そう『思っている』ことを認識してきました。

反省はする、しかし自分に罪悪感を植え付けるための自分責めは要らない。


ただ

自分を責めることで何かを学んでいたりもするので、何を学んでいるのか?掘り下げられたらさらに深い気付きになるんじゃないかなと。

色々とあるけど

意味が無いことは、無いということ。

人は常に何かを学んでいるということ。


まず第一歩

『自分の意思』 で "決める" こと


ブレてもいい、成長過程(ステージ)において『望み』や『考え』『捉え方』が変わることは悪い事ではない。

ステージが変わったことによって、見える(感じ方)が変わっただけだということです。