昨日になりますがー修行しているときでちょいと連絡確認でスマホを見た時、にとある武術家の方のTwitterでにコメントで蘇昱彰氏の訃報の第一報を知りました。

私は直接のお会いしたことはありませんがー我が師は直接のご指導を頂いた方の系譜と言うことで
老師の逸話は色々聞かせて頂いておりました。

私自身も八極拳に出会うキッカケが松田隆智先生の「拳児」でした。

当時は拳児の師匠として登場した 蘇崑崙老師が実在していたとは知らずー後に、蘇昱彰老師が蘇崑崙老師と知り驚いた記憶があります。

当時はSEGAの格闘ゲーム「バーチャファイター」を見ていたこともあってこの武術を学びたいと東京まで行った時も 「拳児」の八極拳を学びたいという理由でした。

この後に色々あってからーあえて蘇崑崙老師と呼ばせて頂きますがー老師直系の八極拳を学び今に至っております。


蘇老師の逸話は「拳児」の劇中にあるプロの軍人との戦いが有名ですがー

これは中国武術だけでなく古武術系にも言えますがー達人と言われるも

実際の実力は???

と言われることが多い中でー勝ち続けられ文字通りの実戦武術家であったと思います。

今回は多くの方が追悼なされると思いますので私はあえて思い出もあり日本の中国武術家に大きな影響を与えた「拳児」と我が師から教えて頂いた蘇老師の逸話をお話させて頂きたいと思います。

ここからは個人的な当時の思い出も差し挟ませて頂きますのでご了承ください。


拳児がはじめて蘇崑崙老師との出会いの場面

とうの拳児も見ていたこと読書者も当時は強そうに思わなかったって言うのが第一印象だと思います。

個人的には蘇崑崙老師がいるからこそ拳児は盛り上がった思います。


ここは有名な田英海に暗勁を打ち込むシーン

蘇老師の強さと八極拳の凄さを知らしめたと思います。

暗勁は拳児のおじいちゃんが先に使っていておじいちゃんの凄さも合わせて伝えたシーンです。


ここから蘇老師と拳児との修行が始まるシーンです。

こんな師匠がいればと思うさせて様々な名シーンがここから生まれていきました。



ここからは個人的に印象にあるシーン。

トニー譚との話から

武術やっていたらー恨まれるてこそ1人前の武術家というのは言われ見ればそうですがー考えさせられました。


実在のお話であったー

中国武術VS軍隊格闘技

蘇老師の使う 蟷螂拳の1つ 八歩蟷螂拳 は対格闘技で蟷螂拳と通背拳と形意拳を合わせて組まれた武術を使われていることからも因縁めいたものを個人的に感じました。


この瞬間に蘇崑崙老師こと蘇昱彰老師の代名詞になった必殺技となった  穿弓腿で後には「バーチャファイター」でも蟷螂拳の使い手リオン・ラファールもこの技を使っています。


これは師匠である張老師のために田英海達との因縁に終止符を打つシーン

自分の利益のためにだけで動くだけでは人は人は動かない

中国の教えでもあります。




拳児と蘇老師との別れ前に2人らしい最後の大乱闘シーン



そしてーー拳児と蘇老師との別れ

この後 香港編で少し出てきますがー基本的にこれで蘇崑崙老師の活躍は終わりです。

この後も魅力的な老師は登場されますがー拳児の人気にひをつけたのは間違えなく蘇老師だったと思います。

私なりの蘇老師の拳児での活躍を振り替えさせて頂きました。


最後は私自身が聞いた蘇老師の逸話です。

蘇老師が台湾で武館(道場)を開いた時でしたが、
現在はわかりませんがー当時は新しい武館を開いた際には入口に ろうそく を立てそのろうそくが消えるまでに、この武館に文句があるなら道場破りOKという合図だったそうです。

普通は小さいろうそくを立てるそうですがー蘇老師は映画で見る恐ろしく 太いろうそく をたてたそうです。

蘇老師の自信と凄さを示す逸話だと聞いています。


と長くなってしまいましたがー

蘇老師長い間日本に八極拳を伝えて頂きありがとうございました。

未熟ではありますが老師の教えを受け継ぐ末席の者として八極拳を修行して突き詰めていきたいと思います。

ありがとうございました