望郷の念に駆られる間もなく、赴任先では慌ただしい1日がはじまった。
俺の仕事は矯正専門医の理事長に代わり、一般診療業務を分院長としてこなす事

バカにしていた山形だったが、古くからあるこの医院には1日60人以上の患者がひっきりなしに現れる。
初日からまるで治療ロボさながらに、院内を走り回る

ランチもろくに取れず、気付けばもう最終患者だった
初日の夜、ささやかながら俺の歓迎会があった

もう一人、都内から半年前に東歯から赴任してきた矯正専門医のあの彼が隣の席でボソボソ話し掛けて来た

前任の分院長はアル中で廃人になり、その前の女医は分裂症で自宅に火を放ったと…


なぜ(゜U。)?

頭の中が錯乱した…

旅行おいう以外で見知らぬ土地へ数週間単位で出かけた経験はあるだろうか?

俺は、学生生活の長い休暇の大半を旅をして過ごしてきた。

それは・・・新しい自分の発見と、まだ見ぬ世界への不安と期待。

時にはスラム街へ迷い込み、九死に一生を得る経験もしてきた。


しかし、今回は数週間で元の生活に戻れはしない・・・


片道チケットでの旅立ちである。


小学校の遠足でもなければ、友人の田舎でもない。ましてや親戚もいなければツーリングにも行ったことが無い土地・・・山形

人生の中で一度でも行ったことがあり勝手が判る土地での生活に不安はそれほど無い。もしくはダメならば帰ればいいやと言う甘えた考えも許されるならば殊更である。

しかし、今回の旅立ちは自ら望んだ事で且つ教授からの出向命令だった。


最低2年間・・・・


これが長いのか短いのかは判らないが、未開の山形という土地で2年間を生活することが想像できなかった。


旅立ちの朝


6年間の東京一人暮らしの後、その後6年間を過ごしたさほど未練の無い自宅(実家は俺の家出のあとに引っ越している)の前には小さなトラックが全ての荷物を積み終わってその扉を閉めようとしている。

ふと、6年前の東京のアパートを引き払う時の朝が重なって見えた。


『必ず東京に戻ってくるぜ』と誓った朝とは少し違う朝だった。


家業は残念ながら俺のライセンスでは継ぐことは出来ず、長男ではある俺に戻れる家はない。

この朝から先の人生は全て自分で切り開いていかなくては・・・期待と不安が大きなため息に変わる


かつて家を飛び出した俺を、許し迎え入れそして再び送り出す父親の姿がバックミラー越しにいつもより小さく見えた。


秋晴れの気持ちよい朝だった

本当にドラマの中の主人公のような現実は起こりえるのだろうか?


少なくとも普通の生活の中で、起こりえる確率は非常に低い。

が、俺には起こった・・・


ここまで読破した人であれば、俺が中学時代の章を思い起こしてほしい。

高校受験に挫折し、初恋の相手を幼馴染に寝取られた話・・・・


その日は10月の最終金曜日、医局最後の仕事だった。

外来終了時間ぎりぎりで、最後の患者さんを待合室まで送り出し最後の挨拶を交わして外来の後片付けに戻ろうとふと目を上げると、待合ソファーに一人のスレンダーな女性が携帯をいじって座っていた。


気に留めず、医局内に戻ると婦長から急患の依頼が入った。

手が空いているのはあいにく自分だけだと悟り、上がったばかりのカルテを手に待合に向かいながら、体が凍りついた。

そこにあった名前は・・・・愛しい初恋の名前。誕生日も一緒の同姓同名。

一瞬で顔がほてるのを必死に隠しながら、普段は使わないマイクで待合にいるであろう『彼女』の名前を呼んだ。


外来ユニットはボックスにより仕切られている。5番ユニットで近づいてくるヒールの音を高鳴る鼓動がリンクする。あえて、顔を伏せた状態で彼女をボックスに迎えいれた。


一段と低いトーンを使い『今日はどうしましたか?』と聞くのが精一杯だった。


『昨日から奥歯がズキズキしてて・・・』


聞き覚えのある懐かしい声・・・・


あふれそうな感情を押し殺して、静かにユニットを倒し意識を診療に集中することで何とかごまかすのが精一杯だった。

そんなギリギリの状況を最初に破ったのは彼女の方だった。


『なんで??どうしてここにいるの?いつドクターになってたの?日本にはいないって聞いてたのに・・・』


高校卒業以来、誰一人として連絡の取らなかった俺は住所も転々としていることもあり地元では渡米してバンド活動をしていると実しやかな噂がながれていたのである。


聞けば彼女は県内一の高校を卒業し、現役で医学部合格を果たして今は同じ大学内の付属病院に勤務しているとの事。かつてのエリートは今も健在で、かつモデルのような肢体と美しい横顔はあの頃と何一つ変わってなかった。

唯一変わったこと・・・・一人の患者とドクターという関係だった。


大学を卒業した彼女は、別れてはくっつきの繰り返しで結局は幼馴染の穣とそのまま結婚をして穣は婿として迎えいれられたらしい。1歳になる男の子もいる・・・・


ずっと長い間、頭の片隅に残っていた蟠りがすっと消えたような気がした。


『なんであの時あなたじゃなかったんだろう??なんであの時、穣だったんだろう・・・』


その彼女の一言で全てが報われたような気持ちになれた。