先日、母の日でした。

母の日もあったことで、遠方に住んでいる母のことをふと思い出していました。

今の母は介護が必要な状態で、認知にも多少障害があるために、今母からなにかを教えてもらったり、頼ったり、相談したりできることはありません。

もっともっといろんなことを教えてもらっていれば良かったと、今になって思うことができます。

 

以前もブログに記載したことがありますが、私の母はとても放任主義の母でした。

そんな母とぶつかったことも何度かありました。

でも、母は良いタイミングで必ず私に接してくれてきたんだなと思っています。

 

高校の卒業式の日、いつも通り登校して教室に入ったら、クラス全員の机の上に1輪の花束がおいてありました。そして、先生の教卓の上には、大きな花束がありました。

誰からだろう?

他のクラスもあるのかな?

などと他の教室を覗いてみたけれど、私のクラスだけでした。

私の担任の先生は、初めて担任をもった若い女性の先生でした。

私は、その先生が大好きでした。全力でぶつかってきてくれて、生徒に寄り添ってくれて、大変なクラスだったと思うけど、いつも生徒のことを1番に考えてくれて…

そんな大好きな担任の先生が、その花束を見て泣き出していました。

 

その1輪ずつの花束と、大きな花束は、私の母からの贈り物でした。

 

前もって準備して、誰も登校してくる前に届けてくれて、先生に手紙を書いてくれていました。

私は、それを知った時、少し照れくさくて、恥ずかしくて、なんとも言えない気持ちになったことを今でも覚えています。

でも、高校最後の日、私はたくさんの人から「ありがとう」の言葉をもらって卒業することになりました。

 

自宅に帰り、母にどうしてあんなことしたの?と問うと

義務教育ではなくなった高校3年間を、こうして全うできて、夢に近づくことができたのは、まぎれもなくクラスのみんなと担任の先生のおかげであるということ、

私がこの3年間で、人として成長して、変化できたのも自分が頑張ったというだけではなく、周りの人がいたからできたことであるということ、

優しくしてくれた人も、意地悪してきた人も、嫌な思いをしたことも、最後に笑って泣けたことも、クラス1人1人違っていて、関わることができたからできた感情であること、

この3年間を忘れないで欲しいということ、

担任の先生やクラスのみんなに母は心から感謝しているということで花束をくれたようです。

 

18歳の私は、嬉しい気持ちはあったけど、その言葉一つ一つの意味はまだよくわからず、「ふーん。ありがと。」と言った気がします。

 

あれから倍以上生きてきて、今なら母が私に伝えたかった言葉の意味がわかります。

少しずつだけど、知らないうちに感性が母に似てきていて、ふと振り返ると無理なことですが、今の私と今より若い頃の母と語り合ってみたかったなと思います。

 

そんな母に育てられたことを、今の私はとても感謝しています。

ありがとう。お母さん。