今日の空は、すごく青く澄んでいてきれいな秋晴れでした。
空を見て、ふと兄のことを思い出しました。
お彼岸が近いことと、兄の誕生日が近いので、思い出したのかも知れません。
毎年、兄の亡くなった日、お彼岸、お盆、兄の誕生日になると、兄のことを思い出します。
普段も時々思い出しますが、色々考えてしまうのはその日なのかなと思っています。
私は、兄と年齢も離れていたので、周りの兄妹といった関係性ではなかったように思います。
年が離れているせいで、兄妹喧嘩も1度もしたことがありませんでした。
もちろん、年が離れているため、相手にされるはずもありません(笑)
私が幼い頃には、もうだいぶ大人だった兄…。
兄のおかげで、同級生より少し早く大人の世界はこんななのかと感じることができたような気がします。
年の離れた兄をもつ私は、同級生の男子から羨ましがられることもありました。
それが嬉しくもありましたが、それと同時に年の近い兄弟が欲しかったと思ったり、女の姉妹が欲しかったと思ったり、本当にないものねだりのことをよく考えていました。
兄と、年が離れていたために、私が兄と一緒に生活した年月は、普通の兄妹より少なかったと思います。
なので、兄のことをよく知っているかと聞かれると、そこまで良く知らなかったと思います(笑)
でも、年が離れていた分、兄にも兄の友人達にもすごくかわいがられた幼少時代があったことを今でも感謝しています。
兄が亡くなった日のこと・・・今でも鮮明に覚えています。
その日は、夜勤明けでお昼寝をしていました。
父から着信があったのは、なんとなく夢の中で覚えてますが、起きたらかけ直そうと思ってそのまま寝てしまっていました。
起きて、留守番電話を聞くと
「お兄ちゃんが、死んだ。」
とだけ残されていました。
私は、意味が分からず、理解が出来ず、まさか嘘だと思い、何度も何度も留守番電話を聞き直しました。
でも、その留守番電話の言葉は聞き間違いでもなんでもなくて、本当でした・・・。
すぐに父に電話をし、事実を知ることになりました。
身体が震えたことを覚えています。
父には、
「すぐ帰る。」と言って電話を切ろうとしましたが、父は私が動揺しながら運転してくることをすごく心配していました。
「お願いだから、お前だけは元気でいてくれ。気を付けてくるんだぞ。」と最後に言われました。
電話を切った後、泣きじゃくって、震えていました。
あんなに泣いたのは、いつぶりだったのかなと思います。
タイマーでかけていた洗濯機が鳴り、泣きながら洗濯物を干し、実家に帰る準備をし、職場に電話をしました。
「お兄ちゃんが亡くなったので明日からお休みします。詳細はあとでご報告します。」と。
さすがの師長さんも、お兄さん?と動揺していました。
病気だったの?と聞かれましたが、答えはNOでした。
本当に突然なので、私も驚いていますとしか答えられませんでした。
そのまま実家に帰りました。
帰ると親戚の人が亡くなった時の雰囲気と同じで、親戚が集まっている状況を見て、あー本当なんだ、現実なんだと思ったことを覚えています。
誰かが亡くなった時しか会うことがない親戚の人達もたくさん来ていて、あーこの雰囲気知ってる…でも、それが若い兄のために集まっているなんて、信じられないし、信じたくない。と正直に思いました。
現実を受け入れるってすごく難しくて、受け入れられなくても、受け止めなければならない現実が生きていると何度も何度もめぐってきます。
受け止めながら、少しずつ心も成長してきているのかも知れませんね。
今でもふと考えたりします・・・。
あの時、兄が亡くなっていなかったら、今はどんな風に年を重ねていたのだろう。
生きていたら、今どんな話をしていたのだろう。
やっと、大人な話もできるようになった私達は、大人になった兄妹の時間をもっと過ごしておいたら良かったな。
もうすぐ、私は年の離れた兄の年齢を越してしまいます。
一生追いつくことがないと思っていた兄の年齢を追い越してしまう現実…。
年齢は追いついても、追い越しても、私にとって兄はずっと兄のままです。