無事、閉会式となりました。
コロナはたくさん増えてしまいましたけれど、選手のみなさんの活躍や喜んだり、悔しい思いをしている姿は、本当に感動しました。
昨日の野球の金メダルも涙が出ました。
本当に、オリンピックに出るまでの努力は、尊敬でしかありません。
そして、オリンピックの開会式の時も言いましたが、閉会式もリアルタイムでちゃんと見るのも初めてかも知れません。
日本で開催されたということ、そして今仕事を休んでいるということ、そのおかげですね。
次は、パラリンピックですね。
ある芸能人の方が、パラリンピックについて以前こんなことを話していました。
『障害を乗り越えて』という表現が使われることがありますが、それってどこか違うんじゃないかと思っていました。『アスリートの皆さんはスポーツを通じて、己と闘っている』ということ。それはきっと誰もが共感できることなので、そこに障害のあるなしは関係ないと思うんです。たとえば、『障害のある人たちが頑張っていて、そこから何か学び取ろう』という考え方もあるかもしれない。けれどそれっておこがましい気がして…。私たちはもっと普通にパラリンピックをスポーツとして楽しむべきだと思うんです。
と…。
長くなってしまいましたが、本当に障害を乗り越えてという言葉はよく使われています。
確かに障害がありながら頑張る姿は、きっと心を打たれるものなのだと思います。
でも、選手たちは純粋にスポーツを頑張っている。努力している。
その姿を普通に応援し、オリンピックと同様にパラリンピックも楽しめたらなと思っています。
私は看護学生の頃、授業で手話がありました。
手話の授業は、聾者の方が教えてくださいました。
20年以上前の授業ですが、今でもその時に教わった手話はちゃんと覚えています。
スマートな会話はできませんが、単語や日常のことは多少なら手話がわかります。
耳の聞こえない患者さんが来た時は、私は苦手意識を持たずに率先していくようにしています。
私のへたな手話も頑張って読み取ってくれて、筆談すればもっと早いのかもしれませんが、目を見て会話をしたいと思ってなるべく拙い手話で伝えようとします。
もっと、上手になりたい!と思う気持ちはずっとありましたが、忙しさを理由に遠ざかっていました。
この病休を期に、時間もあることですし、もう一度手話の勉強をしてみようかなとまた思えるようになりました。
パラリンピック、楽しみです。