1981年1月1日、「ビートたけしのオールナイトニッポン」でこの年は開ける。
1990年12月27日の最終回までこのラジオ番組は80年代を駆け抜ける。とにかく「キレキレ」である。エッジがきいてて、ものすごいスピードで一切を切り捨てていく。常識的な大人はついていけないような疾走感。高田文夫の早口の合いの手も更にリズムを加速させた。
ビートたけしは極めて1980的だと思う。いつもフィッチェのニットを着たビートたけし。「フライデー襲撃事件」を起こしその記者会見の模様を改めて見た。そのエネルギーの放出のあり方が1980的だと感じた。「何を言ってやがるんだい、バカ野郎ども」メディアの記者たちに発せられるエネルギー。
この年、フジテレビで「スター千一夜」が終了。そして「オレたちひょうきん族」が始まった。「スター」とか「芸能」とかのあり方が変化し始めた時であった。タモリの「今夜は最高」が始まり、アニメ「Dr.スランプアラレちゃん」が大ヒット。「キャプテン翼」が少年ジャンプに「タッチ」が少年サンデーに連載開始。手塚治虫はビッグコミックに「陽だまりの樹」という幕末テーマのストーリーを連載していた。
アメリカではレーガンが大統領に就任し、スペースシャトルコロンビアが打ち上げられた。郵便局が大幅に郵便料金を値上げし、ロッキード事件で議院証言法違反で小佐野賢治が有罪判決。ローマ法皇が初来日し、イギリスでチャールズ皇太子とダイアナの結婚式が行われ、この年初めて「AIDS」が報告される。70年代は決着しつつ、80年代はムクムクと起き上がる。
日本人の留学生がパリで殺人・死姦・人肉を食らう「パリ人肉事件」が起こり、ノーパン喫茶が大流行、横浜銀蠅が「つっぱりHigtSchoolRock’nRoll(登校編)」でベストテン入りし、「つっぱり」は「なめネコ」ブームを呼ぶ。
「Focus」が出版され、写真週刊誌なるものが世に出る。スクープとゴシップのヴィジュアル化。スキャンダラスなフォトグラフが市民権を獲得し、やがて80年代はグラビアタレントの全盛期へと突入する。
フジテレビで「北の国から」スタート。都会に出てきた田舎の若者を描いてきた倉本聰は北海道を舞台としたホームドラマを手がける。ラジオ・オールナイト日本は月曜/中島みゆき、火曜/松山千春→所ジョージ、水曜/タモリ、木曜/ビートたけし、金曜/吉田拓郎、土曜/笑福亭鶴光、ちなみに3月まで木曜2部が明石家さんまという時期であった。
NHK・FMサウンドストリートに4月から坂本龍一と佐野元春がDJとして登場。月曜/佐野元春、火曜/坂本龍一、水曜/烏丸せつ子、木曜、金曜/渋谷陽一。ロック的な世代交代が現れたキャスティング。坂本龍一のサウンドストリートにはその人脈から多彩なゲストが訪れる。栗本慎一郎がゲストであるあたり、ネオアカデミズムとミュージックシーンが最も近づいた時=1980年代と言える。
文壇に「さようならギャングたち」で高橋源一郎がデビュー。重くのしかかる1970年代を抜け出す糸口を探し、詩やサブカルチャー・POPカルテゃー、古典文学を象徴的きっかけとして痛みと次への希望を表現した。言語の行う最初の偉大な作業「名前を付けること」を冒頭に物語は進む。
81年は福岡・北九州地区出身のいわゆる「メンタイロック」が台頭した。伝説のロックバンド「サンハウス」の影響の下、80年暮れに「ザ・ルースターズ」「ザ・ロッカーズ」81年に「ザ・モッズ」が次々とデビュー。「シーナ&ザ・ロケッツ」「ARB」と共にそれぞれオリジナリティーのあるロックンロールを爆発させた。
この年の日本の映画興行成績№1は、デビッドリンチ監督の「エレファントマン」。これも極めて1980的だと思う。デビッドリンチ監督のツインピークスの大ブレイクは1980的感性を最も刺激した作品であったと思う。猟奇的で、非日常的なサスペンス。しかしSF的でないリアリズムを感じる、その作品を見ること自体が文化的な匂いを放つものであった。
そして、FRIDAY創刊の年にビートたけしのカリスマ化はスタートする。メディアの一種の下品な暴力と大衆の先導者は、全く違うベクトルでどんどんスピードUPして時代を突き進んでゆく。
妙に賑やかで騒がしいアカデミズムと、下世話と文化と大衆がごちゃまぜの80年代。私たちは、糸井重里の「ヘンタイよいこ新聞」(ビックリハウス)のように「不思議、大好き」と宣いながら、春の雪崩のようにカオス化して膨張しつつ、車軸を回し続けたのだった。
END

