世界中で起こることには
必ず意味があり
あなたが見ている世界と
私が見ている世界が
必ずしも同じではない
が、今ここに
私の中のものを残す









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今までいた神々は
平和のため
または国、土地、民族、子孫繁栄
または世界の人類のためにと
それぞれがそれぞれに祀られた
また祀りあげてきた





これから来る未来には
神々と同じ視点、観察が出来る人間が
物質世界を創り上げていく


今までにない精神レベルで
物質世界の繁栄と可能性を広げていくため








たまたま私は
過去から未来(そこに時間の概念はない)
また地球以外の記憶があり
それらがなんのためかを
今も今世の私の設定の中で探りながら
楽しむように(笑、やっとだ笑笑)
なってきたのだが




どうやっても
未来の体感の視点の先に
今ある神々が存在しないことを体感していた
どこに行ったのかと
今を見ながらずっと探していた


以前もどこかに書いたが
自分で覚えていない
ふと書き出すので仕方ない笑






その変化の流れは
まるで今生きる人々のイタミを伴うかのように見える
が、それさえ解釈だ
もちろん悲しみを感じ尽くす人々がいることは
見ようとすれば見て取れる


がそれさえ
すべて設定の中
自分で選んできた体験のひとつとしてある
ドライに聞こえたら謝る

あなたが選んだ体験だけが、この世界に存在する









これは私の解釈だ

神々は今の流れさえ知っている
執着が大きな土地、民族、それぞれの人間の中には、かなり大きなイタミとして
それらは刻まれるだろう







概念が変わるとは
尋常ではない変化である










その世界がただ在る
未来という膨大な可能性の中のひとつにすぎない
その話を私はただしている












誰かのなにかにれば
ただそれだけで書き出す笑
たまたまでも、読んでくれてありがとう